1996年ドラフト2位でカープに入団した黒田博樹

 近年、ドラフトで成功を収めているカープ。元々ドラフト巧者の部類に入るカープだが、逆風を受けた時代もある。1993~2006年、逆指名・自由獲得枠・希望入団枠が採用されていた時代だ。しかし、その時代に広島を「逆指名」した男たちがいる。カープを選んだ男気ある選手たちを紹介したい。

◎山内泰幸(投手/日本体育大/1994年ドラフト1位)

 カープの逆指名第1号は「UFO投法」で知られる山内泰幸だ。尾道商時代も注目選手だったが、故障のために指名を回避。その後、日本体育大でMVP2回、最優秀投手賞4回と成長を遂げ、1994年のドラフトの目玉になるレベルに成長した。

 争奪戦を制するために、広島は3月にメディアを通して「山内一本」を宣言。巨人や中日も山内を狙っていたが、実家や母校に通い詰め、「脚を使った戦略」で見事に山内から逆指名を取り付けた。

 1年目の1995年には14勝10敗、防御率3.03の好成績で新人王を獲得。1996年も11勝8敗と2年連続二桁勝利を挙げるが、右肘を痛めた影響からか思うような結果を残せない年が続いた。当時のカープは先発、中継ぎとフル回転が当たり前だったが、今のような大事な起用法であれば、もっと勝ち星を伸ばせたかもしれない。

◎澤﨑俊和(投手/青山学院大/1996年ドラフト1位)

 1996年の逆指名1位・澤﨑俊和も絞りに絞った選択だった。

 当時、青学には井口資仁、清水将海、倉野信次がおり、相当な強豪だった。実は大学4年になった時点では倉野がエース格で澤﨑は2番手だったが、春のリーグ戦で澤﨑が7勝をマーク。コントロールの向上に目をつけたカープが澤﨑に的を絞り、相思相愛になったのだった。

 1997年には12勝8敗、防御率3.74で新人王を獲得。しかし、こちらも山内と同様に右肘を痛め、その後は目立った活躍ができなかった。それでも山内に続く新人王。スカウト陣の眼の鋭さがうかがえる。

◎黒田博樹(投手/専修大/1996年ドラフト2位)

 カープのレジェンド・黒田博樹も逆指名組だ。ただ、大学時代は東都1~2部で防御率3点台。150キロの球速が注目されていたが、ドラフトの目玉といえる圧倒的な存在ではなかった。

 晩年の黒田からは想像も付かないが、若手時代の黒田の投球を知るオールドファンならば、力任せで投げていたイメージもあるのではないだろうか。

 他球団のスカウトも剛球派と見ていたはず。しかし、当時の担当スカウト・苑田聡彦氏は黒田の技術的な成長を確信していたという。

◎遠藤竜志(投手/NTT関東/1997年ドラフト1位)

 1997年の逆指名1位は高卒3年目の遠藤竜志だった。187センチの長身と最速145キロのストレートの持ち主で将来性を買われての指名となった。

 2年目の1999年には中継ぎで28試合に登板し、2勝2敗、防御率4.60とまずまずの成績を収めたが、その後は故障がちで一軍登板なしに終わった。

◎木村一喜(捕手/日本通運/1999年ドラフト2位)

 野手初の逆指名で広島に入団したのは、木村一喜だ。ちなみにこの年の1位は河内貴哉(国学院久我山高)、3球団競合の末に引き当てている。

 当時の広島は西山秀二、瀬戸輝信に次ぐ捕手育成が急務だった。木村はシドニー五輪の日本代表候補に入るほどの好捕手だったが、ドラフト同年に肩を故障。それでもカープは逆指名に踏み切った。

 結果的に正捕手定着はならなかったが、2002年には109試合に出場し、打率.314を記録。「打てる捕手」として活躍した。

◎廣瀬純(外野手/法政大/2000年ドラフト2位)

 シドニー五輪日本代表にも選ばれた廣瀬純も逆指名での入団。この年のドラフトは好投手がそろっており、外野手の一本釣りは、広島的には戦略が当たったといえるだろう。

 若手時代はなかなかレギュラーに定着できなかったが、2010年には初の規定打席到達で打率.309をマーク。2013年には15打席連続出塁の偉業も達成している。

 現在もコーチとして活躍しており、長い目で見れば大きな収穫だった。

◎永川勝浩(投手/亜細亜大/2002年自由獲得枠)

 三次市出身の永川勝浩も自由獲得枠での入団だ。亜細亜大では大学選手権や明治神宮大会でも結果を残したが、同大のエース格は木佐貫洋。ここでもカープは地元出身の永川に早めのアプローチをかけて、逆指名を取り付けている。

 1年目からクローザーに抜擢されると、落差の大きいフォークを武器に25セーブ。新人王こそ木佐貫に譲ったが、2006~2009年には守護神に定着し、通算165セーブを挙げた。

◎宮﨑充登(投手/ホンダ鈴鹿/2006年希望入団枠)

 最後の逆指名になったのは宮﨑充登。ドラフト時に28歳というオールドルーキーだった。即戦力狙いの大胆な一本釣りともいえるだろう。

 150キロを超えるストレートが武器。1年目には31試合7先発で3勝5敗5ホールド、防御率4.83とまずまずの成績を収めたが、2年目は12試合で1勝6敗、防御率6.89と低迷。さらに制球難に陥り、2009年以降は一軍登板なしで2011年に引退した。