ドラフト9巡目指名ながら、現役時代は三拍子揃った俊足外野手として活躍。
カープファンの記憶に残る数々のプレーを見せた天谷宗一郎氏の野球人生に迫る。

2001年ドラフト9巡目で指名され、カープに入団した天谷宗一郎氏(上段左端)。同期は石原慶幸(下段右端)、大竹寛(現巨人・下段右から2番目)など。

 カープを引退して、野球解説者の仕事をスタートさせ2年目。ある程度雰囲気にも慣れて『今年はもっと頑張るぞ』と思っていましたが、いまだにプロ野球の開幕が見えてきません。みなさんと同じく僕も、早くプロ野球が始められるような日常が戻ることを心待ちにしています。

 そんな状況ではありますが、本連載でしばらくは、僕の野球人生の話にお付き合いいただければ幸いです。

 まず、野球を始めたきっかけからお話ししようと思います。実は、僕が最初にやっていたスポーツは野球ではなく水泳でした。幼稚園の頃からスイミングスクールに通い泳ぎには自信がありましたし、平泳ぎは結構速かった記憶があります。小学校のときに、福井県で1位にもなったこともあります。ただ、小学3年のときに水泳は辞めてしまいました。一人で黙々とやるのが苦手だったんですよね(苦笑)。水泳を辞めるときにはコーチから『五輪を目指せるのに』と言ってもらったことを覚えています。今思えば、辞めて正解でした。僕は、いくつもの金メダルを手にしてきたあの北島康介さんと同い年なんです。五輪に出場するなんて『夢のまた夢』だったと思います。

 そして、僕は友人に誘われて、多くの友人が在籍していた鳥羽スポーツ少年団に入り、野球を始めました。学校が終わって、そのままみんなで野球をしていた毎日は楽しくて、本当に最高でした。

 左利きなので、ポジションはファーストか外野に限られ、足が速いということで、自然と外野に落ち着きました。どんな選手だったかと言うと……現役時代と同じですよ。打撃にしても調子が良いときは良い、ダメなときはダメという感じで、とんでもない球を振って三振することもあれば、難しい球をヒットにすることもありました。

 チームとしては、小学6年のときに、全日本学童軟式野球大会で全国ベスト8に入れたのが最高の思い出です。