秋山翔吾の電撃加入に沸き立つ広島。FA制度導入以降、主力選手の流出が目立ったカープだが、かつては「大物」がカープを選んだこともあった。長い歴史の中でカープに入団した大物たちを紹介しよう。

6月30日、マツダスタジアムで入団会見を行った秋山翔吾。7月8日からの一軍合流が予想される。

◆カープの歴史を築いたレジェンドたち

 1950年に創設されたカープの大物第1号といえば、白石勝巳だ。故郷・広島での球団創設に際し、選手兼助監督として入団した。

 白石はプロ野球黎明期から巨人で活躍した遊撃手。「逆シングル」でのキャッチをはじめ、守備に注目が集まるが、実はコンスタントに3割台後半の出塁率を記録していた好打者。

 広島では移籍1年目から136試合に出場し、打率.304、20本塁打、58打点、出塁率.396をマーク。見事にスタープレーヤーたる活躍を見せ、自身初のベストナインを獲得した。

 松竹と大洋の合併により、1953年に移籍してきた小鶴誠は大物中の大物。1950年に松竹で130試合に出場し、打率.355、51本塁打、161打点をマーク。同年の161打点、143得点、376塁打は今も破られていないNPB記録である。

 30歳で移籍してきた小鶴は同年、130試合に出場し、打率.283、14本塁打、74打点をマーク。椎間板ヘルニアの影響で結果的に全盛期とはいえなかったが、流動的だった4番の座を固め、さらに同年は33盗塁。満身創痍でチームに貢献した。

 小鶴とともに同じく松竹から移籍してきた金山次郎も広島の伝統を築いた一人。松竹では1950年、1952年に盗塁王を獲得。広島でも移籍初年度に117試合に出場し、58盗塁を決め、3度目の盗塁王を獲得した。

◆初優勝を呼び寄せたガッツマン

 ベテランの力もチームになくてはならない。1968年、36歳になる年に阪神から無償で移籍してきた山内一弘は、オリオンズで首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回の実績を誇る打撃職人だった。

 阪神時代はやや成績が垂れ気味だったが、広島に移籍すると、134試合に出場し、打率.313、21本塁打、69打点をマーク。2年目からは故障がちになったが、ベテランになっても練習に励む姿はチームの若手の心を動かした。

 1975年、リーグ初優勝を果たすカープの原動力になったのは、同年日本ハムからトレードでやってきた大下剛史だ。

 猪突猛進型のガッツマンとして名を馳せていた大下はジョー・ルーツ監督が何としても獲得したい選手だったという。

 その大下の獲得は大当たり。移籍1年目からトップバッターに座り、117試合で打率.270、3本塁打、19打点、44盗塁で盗塁王を獲得。ちなみに20盗塁死もリーグ最多だったが、アグレッシブな根性をカープに注入した。

◆黄金期を築いたリリーフエース・江夏

 1979~80年のリーグ連覇の立役者になったのは、1978年に南海から金銭トレードでやってきた江夏豊だ。

 南海時代にストッパーに転向し、移籍前年には19セーブを挙げてパ・リーグの最多セーブに輝いていた江夏。広島でも1979年、1980年と最多セーブを獲得。1979年の日本シリーズでは「江夏の21球」として語り継がれる伝説の投球でチームを初の日本一に導いた。

 また、1979年にロッテからトレードで移籍してきた渡辺秀武も巨人、日拓で7度の二桁勝利を記録した大物。移籍時点で37歳の大ベテランだったが、アンダースローから繰り出す投球術を生かし、中継ぎでフル回転。3年連続で40試合以上を投げ、防御率2点台といぶし銀の活躍を見せた。

 渡辺とともにロッテからやってきた金田留広も最多勝2回、1974年にはロッテでMVPも獲得した実力者だった。広島では3年間で41登板、11勝6敗。移籍時点で32歳であり、成績はやや下降気味だったが、明るい性格でチームを盛り上げ、投手陣のよき兄貴分となった。

◆一方で結果を残せなかった大物も…

 チームの2年連続日本一を牽引し、「広島での俺の仕事は終わった」とトレード志願した江夏に代わり、1981年にやってきたのは日本ハムの高橋直樹。1979年には20勝11敗、1980年にも10勝9敗を挙げ、実質的にエース格だった。

 しかし、移籍1年目から16試合8先発で2勝5敗2セーブ、防御率3.95と不振に陥り、首脳陣やファンの期待を裏切る。そして2年目の6月には西武にトレード放出。西武では息を吹き返し、1983年には13勝3敗で最高勝率を獲得したが、広島にとっては残念さが残る大物だった。

 1983年に阪急からトレードで加入した加藤英司は首位打者2回、打点王3回、最高出塁率3回の大物。移籍前年こそ、129試合で打率.235、21本塁打、84打点とやや打率が落ち込んでいたが、前々年までは打率3割の常連であり、打撃復活が期待されていた。

 広島での移籍初年は打率.261、10本塁打、36打点とまずまずの数字を残したが、肝炎を発症し、75試合にしか出場できず。そのオフ、近鉄にトレード放出された。近鉄では1985年に26本塁打を放ったが、広島移籍時点で34歳。キャリア的には下がり目だった。

 1990年にロッテからトレードで加入した高沢秀昭もそのタイプ。1988年には打率.327でパ・リーグの首位打者を獲得し、移籍前年も打率.277、出塁率.367をマークしていたが、広島では故障もあって、91試合で打率.254、6本塁打、24打点、出塁率.341と微妙な結果に。翌1991年途中に再びロッテにトレードで戻ったが、故障続きで1992年限りで引退した。

 メジャーでは思うような結果を残すことができなかった秋山だが、結果は果たしてー。