広島を愛し、広島に愛された背番号1 打撃の真髄を追求し続けた孤高の天才

打率3割以上のシーズン11回、シーズン猛打賞23回、月間MVP4回、オールスターゲームMVP1回、セ・リーグ特別功労賞ほか表彰、記録をあげれば枚挙にいとまがない。引退のその日まで打撃の真髄を追求した

「スカウトという字を漢字で書くと、どう書くか知っていますか? 歩と書いてスカウトと読むんです」

 これは球史に残る名選手を数多く発掘した敏腕スカウトの言葉である。卓越した眼力に定評のあった故・村上孝雄氏(旧姓・宮川)は、主に九州地区を担当し北別府学、津田恒美、緒方孝市らを発掘。その氏が靴底をすり減らし発掘した“最高傑作”の一人が前田智徳だった。

 熊本工高時代は夏2回と春1回の計3度、甲子園に出場。同級生では上宮高の元木大介(元巨人)がもっとも注目を集めたが、前田の元にも西武を除く11球団のスカウトが挨拶に訪れた。相思相愛と見られていたダイエーが指名を示唆するなど、前田の福岡行きは既成事実のように見られていた。

 ところが実際のドラフト会議ではダイエーが指名を回避。心を決めていた前田は泣き崩れ、一度はプロ入りを拒否したという。そんな前田を叱咤し、4位指名した広島への入団を決意させたのが前述の村上氏だった。ドラフトにまつわる話として、生前の13年に氏が残した言葉がある。

「時効だろうから話しますけど、彼は高校時代、野球部の後輩がやられたとき『オレが一人で行く』と言って他校に乗り込んだことがありました。『オレの下で野球をしているヤツを泣かしたりするアイツらが悪いんじゃ』と。男気のあるヤツでね。自分からケンカを仕掛けたり、弱い者イジメをしたりすることはなかったですけど。あんな性格の良い子はいませんけど、ダイエーや他球団からは悪ガキに見えたのかな」

 村上氏の人間性に惹かれ広島入りした前田は、初年度から才能の片鱗を見せつけた。6月に6番・中堅で公式戦初出場を果たすと、4打数2安打1打点を記録。2年目は開幕戦でスタメンを勝ち取り、6月以降は2番・中堅として定着した。

 入団6年目の95年に右脚アキレス腱を断裂してからは、つねにケガとの戦いを強いられたが、2000安打達成を含め多くの金字塔を打ち立てた。不思議とタイトルには縁がなかったものの、規定打席到達のシーズンで11回、打率3割以上をマーク。その卓越した打撃技術は、落合博満氏やイチロー氏をして「天才」と言わしめた。

 そんな前田にもユニホームを脱ぐときが迫ってきた。13年、代打で出場した前田は、ヤクルトの江村将也から死球を受け左尺骨を骨折。球団側から引退を留意され騙しだまし現役を続けてきたが、満身創痍の体にこの骨折は致命的だった。“たられば”は禁物だが、もしアキレス腱断裂などのケガがなければ、どれほどの成績を残したのだろうか。稀代の天才は通算2119安打を残し、24年間握り続けたバットに静かに別れを告げた。

◾️ 前田智徳 Tomonori Maeda
熊本県出身/1971年6月14日生/右投左打/外野手/熊本工高-広島/90年入団-13年引退

【表彰・獲得タイトル・記録】
ベストナイン(1992年〜94年、98年)/ゴールデン・グラブ賞(1991年〜94年)/カムバック賞(2002年)/月間MVP4回/2000安打/広島県民栄誉賞/玉名市民栄誉賞