2016年ドラフト4位でカープに入団した坂倉将吾。

 今季、カープ打線の中心になっているのは間違いなく坂倉将吾だろう。高卒6年目の24歳。卓越したバッティング技術の持ち主だが、日大三高時代は甲子園出場はなく、関東地区の注目選手の枠に収まっていた。

 そのセンスを見抜いたスカウトにも脱帽だが、坂倉の指名順位はドラフト4位。古くからプロ野球界では「ドラ4」は編成・育成の腕の見せ所と言われており、カープでも数々の選手が叩き上げでスターに成長を遂げている。改めてカープの印象的な「ドラ4」を振り返ってみたい。

◆水谷実雄(1965年ドラフト4位/宮崎商)

 初開催の1965年のドラフトで4位指名されたのは、宮崎商の水谷実雄だった。当初は投手として入団したものの、2年目から野手に転向。一時は戦力外になりかけたが、1970年に一軍に定着。1975年にはカープ初優勝のウイニングボールをつかみ、それ以降、打撃のギアがアップ。30歳で迎えた1978年には打率.348で首位打者を獲得した。

◆達川光男(1977年ドラフト4位/東洋大)

 守備型の好捕手だった達川光男もドラフト4位。ドラフト指名時にパチンコ屋に行っていて後輩が呼びに来たエピソードはあまりにも有名だが、実は東都ではリーグ戦通算打率.226。現代であればもう少し打たないとドラフト4位では指名されない数字だった。ただ、プロでは通算打率.246と大学時代を超える率を残し、カープを代表する捕手として活躍した。

◆前田智徳(1989年ドラフト4位/熊本工)

 レジェンド・前田智徳もドラ4。熊本工では甲子園に3回出場し、全国区のスラッガーだったが、高校生は「プロで通用するかどうか」の見極めが難しい。カープのスカウト陣が才能を信じた結果、2年目にはレギュラーに定着。24年間の現役生活で2119安打を放った。

◆金本知憲(1991年ドラフト4位/東北福祉大)

 プロ野球の歴史に残る記録を残した金本も、ドラフト当時は懐疑的な存在だったと言えるだろう。当時隆盛を誇った東北福祉大で活躍していたものの、線の細さはドラフトにおいてはネガティブな要素だった。さらに若手時代は地面に送球を叩きつけてしまう悪癖もあった。しかし、そこで諦めず肉体改造に取り組んだ結果、3年目にはレギュラーに定着。通算476本塁打を放つ長距離バッターに成長を遂げた。

◆高橋建(1995年ドラフト4位/トヨタ自動車)

 通算459登板。苦しい時期のカープを、先発・中継ぎで支え続けた高橋建は異色の経歴の持ち主だ。横浜高から拓殖大に進み、3年生までは野手。東都2部で通算17本塁打を放ったスラッガーだったが、大学4年時に投手に転向。

 トヨタ自動車で投手として開眼し、補強選手での出場を含め、3年連続で都市対抗野球に出場した。ただ、指名当時は26歳。即戦力として期待しての指名だったが、まさかメジャーリーガーになるとは、本人もスカウト陣も夢にも思わなかったのではないだろうか。

◆小林幹英(1997年ドラフト4位/プリンスホテル)

 ルーキーイヤーの1998年にセ・リーグ会長特別表彰を受けた小林幹英もドラ4の掘り出し物と言える。新潟明訓高、専修大時代もドラフト候補に挙がっていたが、制球面を課題とみられ、指名を見送られてきた。しかし、カープスカウト陣は社会人で安定感を得たことを見抜き、4位で指名。1年目から54試合に登板し、9勝6敗18セーブ、防御率2.87の成績を収めた。

◆石原慶幸(2001年ドラフト4巡目/東北福祉大)

 扇の要だった石原もドラフト4位。東北福祉大では3度ベストナインに選ばれ、大学日本代表でもあったが、実はこの年のドラフトは「打てる捕手」が大豊作。

・浅井良(阪神自由獲得枠/法政大)
・細川亨(西武自由獲得枠/青森大)
・田上秀則(中日3巡目/九州共立大)
・小田嶋正邦(横浜3巡目/東海大)

 が石原よりも先に指名されている。阿部慎之助が巨人で鮮烈的なデビューを果たした後だけに豪快な打撃に目が行った結果ともいえるが、実は石原も高校通算57本塁打の打撃巧者。自由獲得枠の浅井、細川よりも結果的に打ったのもドラフトの妙だ。

 その後の高校・大社分離時代も、青木高広(2006年大社4巡目)、松山竜平(2007年大社4巡目)などが台頭したが、一軍戦力という点では、2016年4位の坂倉までしばらくブランクがあった。直近3年の4位は韮沢雄也、小林樹斗、田村俊介。坂倉に続き、「ドラ4」の輝きを見せてほしい。