8月6日に幕を開けた、第104回全国高等学校野球選手権大会。予選を勝ち抜いた49校が、高校野球日本一をかけ甲子園で熱闘を繰り広げる。ここでは、カープ選手の高校時代を独占インタビューでお届けする。

 奈良の名門・天理で1年時からベンチ入りを果たした森浦大輔。2年時には春夏連続して甲子園への出場も果たすなど、チームを支える左腕として奮闘した。

 今シーズン、セットアッパーとして期待がかかる森浦のルーツは、 悔しさを噛み締めた高校時代にあった。

奈良県の名門・天理高出身の森浦大輔投手

◆奈良の名門で甲子園を目指し、野球人としての基礎を学んだ3年間

天理高では1年夏からベンチ入り。県大会で岡本和真(智弁学園、現・巨人)と対戦した森浦大輔。

─森浦投手は和歌山県出身です。奈良の天理に進学した理由を教えてください。

「中学時代、天理の方に声をかけていただいたのがきっかけです。関西は強豪校が多い地域ですが、天理に対しては、『甲子園にも出場している名門校』という印象がありました。いろいろなお話を聞かせていただく中で、天理高に進学することを決めました」

─天理は甲子園出場回数も多い名門です。独特の練習などはありましたか?

「『天理ならではの』という練習はなかったと記憶しています。僕は当時から投手を任せてもらっていたのですが、印象に残っているのはランニングメニューです。グラウンドの周りを走るタイム走が特にきつかったですね」

─名門校ならではの重圧もあったのではないでしょうか。

「そうですね。夏の大会に28回出場したという実績もあり、『自分たちも甲子園に行かないといけない』というプレッシャーはありました。奈良では天理と智弁学園が常に注目されていて、『甲子園に行くのは天理か智弁か』という雰囲気もあり、智弁学園に勝って甲子園に行きたいという思いは持っていました。監督やコーチにも『智弁学園には勝とう』と言われていたので、常に意識はしていました」

─2年時には春夏連続で甲子園に出場されました。甲子園での思い出はありますか?

「やはり、初めて出場したときのことが一番印象に残っています。ずっと甲子園に行きたいと思って練習をしていましたし、憧れの場所でしたからね。初出場したときのことは、今でも忘れられませんし、初めて見たブルペンの光景も記憶に残っています。僕はリリーフとして登板しましたが、観客もたくさん入った中での登板だったので、マウンドに立ったときには緊張感もありました。この季節になると各地で夏の地方予選が始まりますが、母校の試合は毎年チェックしています」

─高校3年間で、忘れられないシーンはありますか。

「1年生の時に、夏の奈良県大会決勝戦で智弁学園と対戦した試合です。僕は先発投手としてマウンドを任されましたが、1回で4失点してしまいました。岡本和真(現・巨人)選手にヒットを打たれたのもこの試合です。当時から体も大きくてオーラもあったので、すごい選手だと思っていました。あの日のことは今でも覚えていますし、あの悔しい思いが、プロを目指す上で支えにもなっていました。僕の中で天理での3年間は、野球選手としての基礎を学ぶことができた期間だったと思っています」

─森浦投手の考える、高校野球の魅力とは何でしょうか? 

「高校野球の大会は一発勝負ですし、長丁場を戦うプロ野球にはない部分が、おもしろさだと思います。甲子園を目指している全国の高校球児のみなさんには、悔いなく全力で、自分の持てる力をしっかり発揮してプレーしてほしいと思います」

 =後編へ続く=

森浦大輔◎もりうらだいすけ
1998年6月15日生、和歌山県出身/175cm・71kg/左投左打投手/プロ2年目・24歳
天理高-天理大-広島(2020年ドラフト2位)