野手の花形とも呼ばれ、各球団も守備の名手を配置することが多い二遊間。カープでも、梵英心・東出輝裕の同学年二遊間や、タナキクの愛称で人気を博した田中広輔・菊池涼介らが名コンビと呼ばれファンの期待と信頼を集めた。

 2008年に横浜を自由契約となった石井琢朗も、内野の名手として活躍した選手の1人。カープが獲得を発表すると、ファンからは内野守備の要として期待の声が上がった。その期待に応え、加入1年目からシーズンを通して一軍でプレー。カープで引退するまでの4年間で、三塁手として96試合、遊撃手として59試合に出場した。

 ここでは、カープ加入2年目を終えた2010年12月に収録した独占インタビューを再編集。『カープのために何ができるか。勝つために、何ができるか』。 チームの勝利にこだわり続ける男が、リーグ5位に終わったシーズンを振り返って語った言葉をお届けする。

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開幕一軍でスタートした石井琢朗。本職の遊撃手の他、三塁手の守備固めとしてもチームを支えた。

◆「本当の『力』を」

ー2010年はゴールデングラブ賞に4人が選出され、盗塁王が生まれたりと役割を果たす選手が増えてきたように感じています。

「監督が目指す『意識』という部分はすごく高まっていると思うので、あとは『力』ですね。例えばシーズン終盤に成績を残しました、と言ってもそれは本当の力じゃない。プレッシャーのかかる場面でいかに結果を残せるかということです」

ー同じ内野手の梵選手はいいシーズンを過ごしました。

「まあ、『やればできるじゃん』という感じですよ(笑)。もともと力のある選手だし、やって当たり前だろうと言いたいです。当たり前のことを当たり前にやったわけだし、そんなに騒ぐことでもない。ただ、その成績を続けなければいけませんし、むしろそれがベースになって2011年以降はもっと高いものを求められることになる。勘違いさえしなければ、それは励みになるしモチベーションになると思います。それはチャーリー(廣瀬 純)にも言えることですし、とにかく続けることが大事です」

ーそういう選手が増えていくことが、チームの強さにもつながります。

「とにかく僕としては、同じベンチでも、強いチームのベンチに優雅に座っていたいですよ(笑)。ずっと負け続けていて、いつも2回とか3回にはもうベンチ裏に下がってバットを振って準備しないといけないとか嫌ですから。せめて5回くらいまでゆっくり試合を見させて欲しいんですけどね。そうありたいからこそ、見ていてもいろいろ口うるさくなってしまうし、個人にもチームにも求めるものが大きくなります。親交のあるプロゴルファーのヨコシン(橫田真一)が13年ぶりに優勝しましたが、それにあやかってカープも20年ぶりに優勝しないかと思っているんですけどね」

 =後編へ続く=

《プロフィール》
石井琢朗●いしい・たくろう
1970年8月25日生、栃木県出身
174cm78kg/右投左打
足利工高-横浜-広島(2009年)
2008年、横浜からカープに移籍。安定した守備と打撃でも存在感を示し、芸術的なバットコントロールで規定打席未到達ながら打率3割を記録。2012年に現役引退するまで内野手として活躍した。引退後は2017年までカープでコーチを務め、25年ぶりのリーグ優勝を支えた。現在は横浜DeNAベイスターズの一軍野手総合コーチ。