◆自分自身に借りを返す

 開幕から73試合目の7月12日、地元での中日戦に新井は4番をアンディ・シーツに譲り、6番打者として出場した。4番からの降格は、前日雨で流れた中日戦の試合前に内田コーチから聞かされたという。当時は『一時的な措置ではないか』という見方もあったが、その後も打棒爆発の兆候は訪れぬまま、約1カ月後の8月9日阪神戦(広島)、新井の名がスタメンから消えた。

「スタメン落ちした試合で、佐々岡(真司)さんの代打で出て伊良部(秀輝)さんからホームランを打ちました。その打席では、『今までずっと打てていない』とか『ここで打てるのかな』という気持ちは全くなく、『絶対打ってやる!』と思っていました。同じ気持ちだったのが、昨季の地元開幕戦の時です。この時もスタメンでなく、代打で出て決勝タイムリーを打ったんですが、その時はオープン戦もずっと調子が良かったので『何で試合に出られないんだろう、どうして試合に使ってもらえないんだろう。絶対打ってやる! 見返してやる!』って。そういう感じでした」

 大入り札止めの地元大観衆の見守る中、特別な打席で最高の結果を出すあたりは、さすが新井と言ってもいいだろう。この第7号が、今季初めて勝利に貢献したホームランだったのだ。苦渋の決断でスタメンから外し、最高の場面で代打に起用した山本監督は「差し込まれたのをよく押し込んだ。あんな良い打ち方は今季初めて見た」と予想以上の結果に驚いた。

「9月に入り、4試合連続ホームランとか結果が出て、『L字打法』で終盤騒がれました。今までのフォームを大幅に変えるのではなく、工夫してちょっとやってみようと思ったんです。難しかったけど、藁にもすがる思いだったので……。それまでにも当然いろいろな事を試して、自分の中でもいろいろ考えました」

 内田コーチと編み出した、浅くしゃがんだ後にステップを踏み出す『L字打法』に変え、試合でも好結果が出るようになってきた。二人三脚の末、シーズン終盤でようやく見つけだした新打法であった。 結局5年目のシーズンを488打数115安打で打率2割3分6厘、19本塁打、62打点で終えた。全ての面で前年を下回ってしまい、プロ初の年俸ダウンも仕方ないかもしれない。

「秋季キャンプは、シーズンが終わってからすぐのキャンプでした。だからこのキャンプでの目標としては、シーズン中もずっとイライラ、モヤモヤしていて腹が立つ事ばっかりだったんですけど、そういうのを全部吹き飛ばそうというのが一つ。そしてもちろん来年に向けて新しい物をつくり上げるというのと、2つあったんです。そういう意味では1000本以上打ったとか、毎日特打したとか、何も考えずにただひたすら無心になってバットを振れたというのがあって、いいキャンプでした」

 明らかにハードな練習でも、楽しんでいるように見える。だから他の選手達も頑張れる。これが新井ならではの魅力。この独特の力がある限り、『赤ヘルの若大将』の座は揺るがない。

「来年はもちろん自分の中では、結果を出して4番を取り戻したいと思っています。4番は与えられるものじゃないんです。僕が実力でポジションを獲って試合に出るようになったら、それは与えられたのではなく、自分でつかんだもの。今年の4番というのは、与えられたものじゃないですか。最初から『お前で行く』と。やはり自分でつかむものだと思いました。4番という打順には、今年 “借り” があるので、また今度『絶対に奪い取ってやる!』と思っています」

 オフは毎年続けているウエイトトレーニングに加え、マシンなどでの打ち込みの量も例年より増やしていくという。2003年の悔しさは必ず晴らす。新しい年に借りを返したら、グラウンド内外での新井スマイルが、再び満開になるはずだ。

「今年は、本当情けないし、自分自身に腹が立つ。だから自分自身に借りを返すということです。4番かどうかは、僕が決めることではありませんが、この打順での “借り” はいつの日か必ず返します」

 2002年の開幕戦、2003年の初めてスタメン落ちした試合。『絶対打ってやる』と怒りに燃えた打席では結果を出してきた新井。心優しき大砲候補の打棒は、まだ完全に目覚めてはいない。しかし新しい年の2004年こそ、新井貴浩が持つ底知れぬ潜在能力を、ファンは実感することになるだろう。

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