◆過酷な環境での投球が、さらなる成長につながった。
—4月5日の初登板では勝利することができましたが、その後は5月まで8試合勝ち星に見放されるなど、苦しい時期が続きました。
黒田 ルーキーとしてチームに入って、最初は勝ち星がすごく評価される意識というか、勝てないとそれだけチームに貢献できていないという意識がありました。やはり多少の焦りがありましたし、いい投球をしていても勝てないと焦りが出てくる。その時期が一番しんどかったと思います。
—その中で、6月7日には初の完封勝利。試合後には「人生が終わってもいいくらいの気持ちで投げました」という言葉もあり、日本での黒田投手の姿を見たような気がしました。
黒田 それだけ追い詰められていたんだと思います。勝てない時期が続いて、いい加減どこかで何かを変えないとこのままズルズル行ってしまうという恐怖感もありました。何か、自分の中で鬼気迫っていたと思います。
—プレーオフの試合では黒田投手がきっかけで乱闘騒ぎになる場面も。相手選手に言い返す場面も見られるほど、熱くなっていましたね。
黒田 言い返すというか、それまでは言われたことが基本的になかったんで(笑)ただ、そういう戦う姿勢も大事だと思いましたし、それでチームがひとつになればいいことです。それをしないと向こうではやっていけませんしね。
—あのときはマニー・ラミレス選手が先頭を切って大暴れしているように見えました。スーパースターであるのはもちろん、かなり個性の強い選手のようですが、頼もしい選手ですか?
黒田 レッドソックスでは松坂(大輔・現ソフトバンク)とチームメートだったし、日本のことが好きみたいで、日本食の話とかをよくしましたね。他では分からないですが、ドジャースでは優等生でした(笑)あれだけの選手ですが、プレーオフでは僕もアドバイスをもらったりしましたし、チームが一丸となっていることを感じさせてくれました。
—シーズン中もカープを気にされていたようですが、どのようなことを感じていましたか?
黒田 一緒のグラウンドで戦ったメンバーがやっているわけですし、気になったり刺激を受けたりするのは当然のことです。08年はいいところまで行ったので僕がいなかった方がいいのかもしれませんが(笑)、すごく刺激をもらいました