広島アスリートマガジンWEBでは、これまでカープやサンフレッチェをはじめ、広島のスポーツの魅力を伝えてきた。ここでは、2022年に特に反響の多かった記事を振り返る。

 数々の名スカウトたちが独自の “眼力” で多くの逸材を発掘してきたカープ。広島アスリートマガジン創刊当時(2003年)の人気連載『コイが生まれた日』から、1995年ドラフト3位・玉木重雄の入団秘話に迫る。1年目から30試合に登板すると中継ぎとして一軍に定着し、苦しい投手陣を支え続けた。退団までに通算351試合に登板したタフネス右腕の入団ヒストリーとは。

カープの中継ぎとしてブルペンを支えた玉木重雄

◆日本人選手扱いとなる年に活躍し、プロ入りを実現

 カープに入団後1年目から毎年中継ぎとして活躍していたのが、玉木重雄です。1995年ドラフト3位でカープに入団した彼には今までの選手と大きく違う点がありました。それは、彼がブラジル生まれの日系三世ということです。

 野球を始めたのは5歳のとき、父親の重幸さんから学んだそうです。その後15歳の時に大阪で行われたボーイズリーグ大阪大会にブラジル選抜のエースとして初来日しました。そのとき日本選抜(前田幸長(元・巨人など)や谷繁元信(元・中日など))と対戦し日本野球のレベルの高さに驚き、レベルの高い場所で自分がどれだけできるのか挑戦してみたいと感じたそうです。

 そして18歳で再来日し、日本でプロ野球選手になるために社会人野球の名門・三菱自動車川崎に入社しました。当時三菱グループの会社方針だったかどうかはわかりませんが、日本各地の三菱系列の社会人野球チームにはアメリカでもオーストラリアでもなく、中南米の選手が何人づつか在籍していました。

 私が玉木を最初に見たのは、来日して3年目くらいだったと思います。その時の感想は、スピードはある程度速いし体力的にも問題ないが、コントロールがあまり良くないなというものでした。そのためすぐに獲得しようという話にはなりませんでした。加えて彼はブラジル国籍ということで外国人枠の問題もありました。日本で6年間プレーすれば外国人でも日本人選手扱いにできるという野球協約があるので、それを待ってから本当に獲得するかどうかを決めようという話になりました。

 その後、来日6年目の1995年秋に行われた第22回社会人野球日本選手権で優勝し最優秀選手賞を受賞しました。その活躍からスピードのあるピッチャーを獲得しようという球団の意向もあり、彼の指名を決めました。

 彼と最初に話をしたとき一番驚いたことは、日本語を何不自由なく話せるということです。「ブラジルで日本語を勉強したのか?」と訊いたら「そんなことはありません」と答えました。ですから日本に来て相当勉強したんだなと感じましたし、真面目な選手だなとも思いました。その他の印象は、性格的に非常に大人しいなと思いました。ブラジルはラテン文化のため元気が良いというイメージがありますが、そこで育ったとは感じさせないほど静かでした。

広島アスリートマガジン12月号は、『恩師と選手が語る新指揮官の魅力』を特集。 新井貴浩監督の話をしよう。月刊誌でしか見ることのできないビジュアルも満載です!