広島にカープが誕生して今年で77年。カープのヘルメットが赤に変わり、『赤ヘル』と呼ばれるようになり50年の時が流れた。長きにわたる球団史を語る上で欠かせないのが、頻繁に繰り返された選手たちの『移動劇』だ。ここではチームの浮沈を左右した、主だった移籍劇を振り返ってみよう。
◆リーグ初優勝の原動力にもなった移籍劇
カープの移籍史を語る上で欠かせないのが、『トレード』である。
初優勝したチームの基盤をつくったのは、選手の入れ替えによる活性化だった。1960年代後半、根本陸夫監督による強打者・山内一弘の獲得や外部コーチの招聘で礎を築くと、1975年には球界初の外国人監督ジョー・ルーツも大きく選手を入れ替えた。日本ハムから獲得した大下剛史がリードオフマンとして打線をけん引。阪急からは宮本幸信と渡辺弘基、児玉好弘を獲得。宮本は10勝10セーブ、渡辺は左の中継ぎとしてカープのブルペンを支えた。
1977年のオフに金銭トレードで獲得した江夏豊は、在籍期間は3年も、中身の濃い働きをみせた。1979年には球界初のリリーフ投手でシーズンMVPに輝き、同年の日本シリーズでの『江夏の21球』は今もファンの間で語り草となっている。
1984年に西武から出戻りした小林誠二が抑えとして活躍し、1987年に南海から移籍した西山秀二はのちに正捕手の座に就いた。また1991年に中日から獲得した音重鎮はV6に貢献。1995年に日本ハムから獲得した木村拓也は、ユーティリティープレーヤーとして存在感を発揮した。
そして1993年にフリーエージェント(FA)制度が導入されると、選手は一定の年数を超えると自由に球団を選べるようになった。消滅した近鉄、新規参入した楽天を含めて12球団がFA選手を獲得してきた中で、唯一FA選手の獲得がないのがカープ。2010年オフに横浜からFA宣言した内川聖一の獲得に動いたものの、そのほかでは主だった動きはない。
獲得がないだけではなく、カープのFAの歴史は主力選手流出の歴史と言っても過言ではない。
FA制度導入2年目の1994年に左腕エースの川口和久が球団史上初のFA権行使を宣言し、巨人へ移籍。1999年には主砲の江藤智が巨人、2002年には金本知憲が阪神へと移籍した。さらに2007年には、エースの黒田博樹が球団史上初めてメジャー挑戦を決め、4番の新井貴浩が阪神へ。投打の主軸を同時に失う憂き目にあった。
その一方で、新井や大竹寛の人的補償で獲得した赤松真人や一岡竜司がチームの主力として活躍し、球団史上初の三連覇に貢献。必ずしもマイナスばかりではないところに、プロの世界の『移籍劇』のおもしろさがあるとも言えるだろう。