いつの時代も、『記憶に残る助っ人外国人』の存在は大きいもの。カープの歴史を振り返ってみても、投打ともに印象的な外国人選手たちが活躍してきた。ここでは改めて、思い出深い『助っ人外国人』に注目してみよう。
◆投手、野手ともに印象的な助っ人外国人たちが活躍
1993年まで外国人枠が2人だったこともあり、野手中心の補強だったカープ助っ人陣。その扉をこじ開けたのは、カープアカデミー出身のチェコだった。
台湾球界を経て1995年に本格デビューを果たすと、28試合で15勝8敗、防御率2.74の大活躍。ド派手なガッツポーズと背番号『106』は、いまも語り草となっている。
1998年に来日したミンチーも好投手だった。変化球を生かした打ち取るピッチングでイニングイーターの役割をこなし、ロッテ移籍後の2001年には最優秀防御率にも輝いた。
2008年に入団したシュルツは、中継ぎのスペシャリストとして活躍。このあたりから手薄なリリーフ陣を助っ人で補う戦略が機能し始めた。
セーブ数で断トツの1位に立っているのはミコライオだ。2012年に入団すると、サファテから守護神の座を奪取。205センチの長身から投げ下ろす、外国人投手ならではの快速球を武器に3年間で73セーブを挙げた。3連覇に貢献したジャクソンの活躍は、助っ人リリーフ陣が伏線を敷いた結果でもあると言える。
近年の先発投手ではルイス、バリントン、ジョンソンがランキングを席巻。ルイスはわずか2年の在籍ながら、両年ともに最多奪三振を獲得し、歴代3位の奪三振数に食い込んでいる。
バリントンは総合力が高く、4年で40勝。2013年には初のCS進出の原動力になった。アメリカ時代はMLBドラフト全体1位にも関わらず、5年で26登板1勝9敗の記録に終わっていたが、日本で大化けを果たしたのである。
一方、野手に目を向けて見ると、黎明期に平山智をはじめとする日系アメリカ人が来日。 1975年に初のリーグ優勝を果たしたカープだが、これはルーツ監督がホプキンス、シェーンの2人の好助っ人を呼び寄せたのも要因の一つだといえるだろう。 そして、1977年に2人と入れ替わる形で入団したのが、ギャレットとライトルだった。
ギャレットは破格のパワーの持ち主で2年目の1978年に40本塁打をマーク。今もラロッカと並び、広島の外国人選手としてはシーズン歴代1位の本塁打数を保持している。
ライトルは、オールドファンが語り出すと止まらない『THE・レジェンド』。強肩強打で1979~1980年の2年連続日本一に貢献。1980年の日本シリーズでは3本塁打を放ち、日本シリーズMVPにも選出された。
1996年に入団したロペスも、最強の一角だろう。2年連続打点王と勝負強いバッティングが光ったが、累計5年で打率.305も大したものだ。
1999年に加入したディアスも入団当初は内野ユーティリティーという変わり種だったが、西武・カブレラの助言を受けた2001年に打撃開眼。32本塁打を記録した。
2004年に入団したラロッカの打撃には、目を見張るものがあった。初年度から打率.328、40本塁打をマーク。その年のOPS1.102(出塁率+長打率)は、21世紀のプロ野球の記録で8位に入る高数値だった。
また、2012年途中の緊急補強で入団したエルドレッドもレジェンドクラス。2014年には広島の外国人選手としてはランス以来、2人目の本塁打王のタイトルを獲得。真面目な性格でチームの精神的支柱でもあった。