◆試合終了の瞬間、胸に去来するものは何もなかった

 試合が終わった瞬間も、胸に去来するものは何もなかった。試合後は控室でコーチと選手に挨拶をした。「5年間お世話になりました」と。そして「自分はみんなに成長させてもらった」とお礼を言い、ひとりひとりと握手した。

「来年以降も頑張ってほしい。今後はOBとしてしっかり応援していくから」。そんなふうにも伝えた。ユニホームを脱いだ後も、思ってもみない心境になったとか感慨深いものがあったとか、そういう気持ちは訪れなかった。

 ただ憶えているのは、試合が終わって広島に帰る新幹線に乗るための新神戸駅のホームで、たくさんのカープファンに囲まれたことだ。そこで「5年間かけて良いチームにしてくれて、ありがとう」と言われたときは、感極まるものがあった。そういう気持ちでいてくれる人がいるのか……。

 在職中は気づかなかったが、そんなふうに思ってくれていた人がいることを最後の最後に知ることができた。時間はかかったにせよ、自分のやってきた方向は間違ってなかったかもしれない……安堵の気持ちが広がっていった。

 僕は彼らに「これからもカープを応援してやってください。来年はもっと強くなりますよ」と伝えた。彼らは「来年も楽しみです。応援しますよ」と言って、僕らは別れた。

 よくある光景かもしれないが、案外心に残るのはそういうものかもしれない。今、例の手帳を見返してみても、そこには何も書いていない。最終戦のページに感傷的な言葉はゼロ。その前の第1戦も書いてあるのは一言だけ。

「新打線機能せず」―本当にそれだけだったのだ。

●野村謙二郎 のむらけんじろう
1966年9月19日生、大分県出身。88年ドラフト1位でカープに入団。プロ2年目にショートの定位置を奪い盗塁王を獲得。翌91年は初の3割をマークし、2年連続盗塁王に輝くなどリーグ優勝に大きく貢献した。95年には打率.315、32本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成。2000安打を達成した05年限りで引退。10年にカープの一軍監督に就任し、積極的に若手を起用13年にはチームを初のクライマックス・シリーズに導いた。14年限りで監督を退任。現在はプロ野球解説者として活躍中。