2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。

 共に紫のユニホームを着たチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を、『エースの証言』として振り返っていく。

 今回は、2012年からのJ1連覇に主力として大きく貢献した髙萩洋次郎にフォーカスする。

広島ユースから2003年にプロ契約。2012年からのJ1連覇には、主力として大きく貢献した髙萩洋次郎。

◆群を抜いていた高校時代。経験を積んで大きく成長

 (髙萩)洋次郎を初めて見たのは2004年の開幕前のキャンプ。僕は仙台でプレーしていて、サンフレッチェと練習試合をしたときに洋次郎が出場していました。

 洋次郎は高校3年生になる直前で、細身の体は、プロの試合だとより細く見えましたが、うまさが際立っていたことは覚えています。2003年にJリーグデビューを果たしていたとはいえ、自信を持ってプレーしていました。僕はマエシュン(前田俊介)や(柏木)陽介、槙野(智章)、平繁(龍一)など、いろいろな選手のユース時代を見ていますが、洋次郎のレベルは群を抜いていて、これが本当に高校生かと思ったほどです。

 2005年に僕がサンフレッチェに移籍し、洋次郎はトップチームに昇格して、チームメートになりました。ただこの年は正直、高校生のときほどのインパクトはなかったです。怖いもの知らずの高校生と、同じ立場で競争して結果を出さなければいけないプロでは、メンタル的にも大きな違いがあったのだと思います。当時のサンフレッチェには23歳だった僕の同期が7人いて、18歳の選手が試合に出るのは簡単ではないチーム編成だったことも影響していたことでしょう。

 2006年、洋次郎は当時J2の愛媛に期限付き移籍します。リーグ戦48試合中44試合に出場し、翌2007年にサンフレッチェに復帰したときは、以前とは全く違うと言っていいほど大きく成長していました。試合に出場して経験を積んだらこんなに変わるのか、と思ったほどです。プロになる選手は当然、誰もが良いものを持っているわけで、それをアマチュア時代と同じように発揮できる自信をつけたのが、まだ19歳から20歳だった洋次郎にとっては大きかったはずです。

 特に大きく変わったのは球際の強さでした。広島時代に足りないと指摘されていたものを身につけて戦える選手になって帰ってきたんです。復帰した当初は中盤ではなく、最終ラインでプレーすることもあり、本人としてはプライドを傷つけられたかもしれませんが、ディフェンスの経験によって体のぶつけ方や、五分五分のボールをマイボールにする能力に、より磨きがかかったと思います。

後編につづく

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