広島商業高、広島新庄高を甲子園へ導いた、広島の高校野球界の名将・迫田守昭監督。2022年から率いるのは“高校野球”では県内でも無名の、福山市立福山高・硬式野球部。本来の高校野球の姿を求める迫田監督の指導方法、そして監督論を伺った。

野球の技術には口を出さないが、日頃の生活や考え方にはしっかりと指導するという迫田監督。

◆自分で頑張って、殻を破る子が本物になる

―今もなお、監督を続けられている理由は?

 「私は、自分がプレーをするのは得意ではないんです。チームを見て、みんなにアドバイスをするというのが得意でした。ですから私は人を集めてまとめることが、能力的には合っていたんだと思います。自分で野球をすると下手なのですが、人のプレーを見ればよく分かるし、アドバイスもできる。誰も気付かないような点に気付けることが多々あったから、こうやって今も監督をやらせていただいているのかもしれません。ですから、監督という仕事は自分に向いていますし、とてもやりがいのあることだと感じています」

―監督として、どのようなことを指導されているのでしょうか?

 「どの監督も言われている、授業をしっかり受けなさいとか、集中しなさいとか、考え方や日頃の行動には口を出します。ゴミが落ちているのを見てなぜ拾わないのか、グラウンドに転がっている球をどうして片付けないのか、そういったことができない時は怒りますね。球から目を離すな、片手で捕るな、全力で走れとか、誰もが教える野球の基本的なことは言いますけど、私が野球の技術的なことで口を出すことは、ほとんどありません」

―手取り足取り、選手たちに指導されているものだと思っていました。

 「技術を教えると、かえっておかしくなってしまうことが経験上多いんです。ですから私は、選手の生まれ持った力をどれだけ発揮させられるか、ということを常に考えています。指導をすると本人が持っている本来の個性というのが、無くなってしまうんですよね。厳しいようですが、教えられないと伸びない子はそこまで。自分で頑張って、自分の殻を破ってくる子が本物になるんです。例えば、打ち方や投げ方なんて、うちのチームはみんなバラバラです。強豪校を見ると、みんな似通ったフォーム。それは当然、指導が入っているからですよね。うちには、全然打てなさそうな構えの子もいます。でもそれが、現段階で本人たちのベストな構えだと思って打席に立っているわけです。そのうえで、彼らが悩んで相談してくれば、一緒に考えます。でもそういうことがない限り、技術を教えることはありませんね」

―気付いた選手が、自分で工夫して少しずつ伸びてくると?

 「そういうことです。仲間同士で気付いたことを言って、アドバイスし合うということが本当の姿。その点はまだまだ足りないですけど。それがみんなでできるようになれば、チームとしてもう一段階レベルが上がり、野球のレベルも上がるのです」

迫田守昭
1945年9月24日生、広島県出身。広島商高、慶応大、三菱重工広島と選手としてプレーし、1976に三菱重工広島の監督に就任。2000年に広島商の監督として春1回、夏1回の甲子園へと導く。2007年秋からは広島新庄高の監督となり、県北の無名校を強豪校へと育て上げた。2022年4月からは市立福山高の監督に就任。選手たちとともに、今も汗を流す。

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