チーム創設から70年を超える歴史の中で、18名の監督がカープを率いてきた。選手不足、資金不足、人気低迷、成績不振……さまざまな困難を跳ね除け、紡がれてきたカープの歴史は、監督たちの歴史と言っても間違いではない。一際輝く名監督たちにご登場願おう。
◆強いカープの基礎を作った男 根本睦夫
1967年から長谷川良平が監督を務めていたカープに、コーチとして入団。翌年から監督に就任し、監督2年目にはカープを初のAクラス(3位)に導く。この年は安仁屋宗八や外木場義郎、衣笠祥雄などが活躍。その裏には選手に対する猛練習をした結果だとも言われている。
当時やんちゃの盛りだった衣笠祥雄を厳しく指導し、また若手の山本浩二や三村敏之などを育てた監督としても知られている。後に黄金期を迎える、チームの基礎づくりを担った名将だ。
◆カープにあらゆる変革をもたらした ジョー・ルーツ
たった15試合しか指揮を執らなかった、日本球界初のメジャーリーグ出身監督。しかしルーツの残した功績はとても大きく、「球界の革命児」とも呼ばれた。数ある大きな変革の中で、現在でも続く一番大きな変化は、当時紺色だったチームカラーをルーツの提案で赤に変更したことだろう。
帽子の色も赤となったため、カープの代名詞でもある『赤ヘル』という呼び名が生まれた。大下剛史(日ハム)を大型トレードで獲得し、衣笠祥雄を一塁手から三塁手へコンバート、投手陣のローテーションの確立といった、革新的なチーム改革を多数行った。
開幕から15試合目に審判に対する不服で退場処分となり、そのまま監督を引退したが、古葉竹識コーチが後を引き継ぎ、カープの黄金期へとつながっていく。
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球団創設から25年後の1975年には、日本球界初となるメジャーリーグ出身選手がカープの監督として就任した。「球界の革命児」とも称される、ジョー・ルーツその人である。
カープのチームカラーを紺色から赤に変更、選手のための用具専用車の導入、スポーツドリンクの積極的活用など、数えきれないほどの改革を施した。「チームが勝つこと、それが地域活性・社会貢献につながる」といったプロとしての意識改革も、これまでのカープにはなかった新しい考え方であり、多くの選手に強い影響を与えた。
しかしルーツは公式戦わずか15試合で監督を退任。シーズン途中から古葉竹織が後を引き継いだ。