2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。

 共に紫のユニホームを着たチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を、広島アスリートマガジンの連載『エースの証言』で振り返っていく。

 今回は、広島県出身で、ジュニアユースからサンフレッチェ広島の育成組織でプレー。2006年にトップチームへ昇格し、2010年までサンフレッチェ広島で活躍した、槙野智章をフォーカスする。

プロ1年目、当時18歳の槙野智章(2006年撮影)

◆『調子乗り世代』でもしっかりした上下関係

 マキ(槙野智章)のことを知ったのは2005年、僕がサンフレッチェに加入した最初のシーズンです。

 当時はユース所属の高校3年生でトップチームの練習に参加していて、翌年にチームメートになりました。現在も変わらない、あの明るい性格で、プロ1年目から人なつっこく先輩の懐に入ってくるような選手でしたね。ピュアで、自分自身を隠すようなことをしない、かわいがり甲斐のある後輩でした。

 選手としての持ち味は、相手に強く当たってボールを奪うボディーコンタクトで、キャリアを通じての大きな武器でした。1年目のマキは控えで、練習で対峙することも多かったですが、DFに厳しく体を当てられるのは、ストライカーとして嫌なものです。相手に食いつき過ぎて裏を取られることもあったとはいえ、経験を積んでコントロールできるようになれば、いずれは日本代表でも活躍する選手になるだろうと感じていました。

 プライベートでも、よく食事に出かけました。マキの世代はU-20日本代表で世界大会に出場して『調子乗り世代』と言われましたが、本人は上下関係がしっかりしていて、きちんと先輩を立てることもできる選手。プレーのことや今後のこと、いろいろな話をしました。

 DFですが攻撃参加も武器の一つで、自分のポジションをDFとFWを合わせた『DFW』だと言っていました。僕も最初の頃は「いやいや、本職は守りだろう」と否定的でしたが、実際には攻撃に参加するとアクセントになって、マイナス面ばかりではないと思うようになったんです。本人も「攻撃的なDFになりたい」と言葉にして、あえて自分にプレッシャーをかけながら、少しずつプレーの質を高めていったように思います。

 2008年、サンフレッチェがJ2で戦ったシーズンに、マキはレギュラーに定着します。ここから昨季限りで現役を引退するまで、ほとんどのシーズンでリーグ戦の全試合近くに出場しているのも素晴らしいです。ケガに強く、周りが厳しいと感じるような状態でも、難なくプレーする力強さがありました。

後編につづく

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