『10』に代表されるように、サッカー界においても度々話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

2023年シーズンで38歳を迎える柴﨑晃誠。「天才」と称される技術は健在だ。(写真は2022年)

◆サンフレッチェの『30』を背負って10年。中盤を支えるベテランを象徴する背番号

 今回取り上げる背番号は30番。固定背番号制が始まった1997年に初めてサンフレッチェの背番号30を背負ったのは、DF安武亨だ。サンフレチェ広島ユースからトップチームに昇格し、1年目にリーグ戦2試合に出場したものの、2年目は公式戦出場がなく、2年間で契約満了になった。

 その後は桐蔭横浜大に入学してサッカー部でプレーし、卒業後に一度は一般企業で働いたが、指導者としてサッカーの世界に戻り、現在は母校である桐蔭横浜大の監督を務めている。2023年元日には全日本大学選手権で初優勝に導いた。このときキャプテンとしてチームを引っ張ったDF中野就斗は、3年時の2022年1月にサンフレッチェへの加入内定が発表され、今季からルーキーとしてプロの舞台で戦っている。

 1999年から3年間はMF宮崎光平が30番をつけた。鹿本高(熊本)から加入し、プロ3年目に初めて公式戦出場を果たしたが、同年限りで契約満了に。サンフレッチェでは活躍できなかったが、その後はアビスパ福岡、モンテディオ山形、徳島ヴォルティスで活躍し、2014年までプロ生活を続ける息の長い活躍を見せた。

 2002年のDF中村祥朗、2003年のDF大久保裕樹を経て、2004年はMF青山敏弘が背番号30を背負った。作陽高(岡山)から加入したプロ1年目。2005年に23番、2007年に6番に変更し、プロ20年目の今季も現役で活躍しているサンフレッチェ一筋のキャリアは、ここで振り返るまでもないだろう。

 2005年から2007年にMF入船和真、2008年から2010年にMF篠原聖がつけた背番号30は、2011年にFW山崎雅人が受け継いだ。2010年途中にガンバ大阪から期限付き移籍で加入し、完全移籍に移行した際に背番号を33番から30番に変更。ただ、この年の途中にモンテディオ山形に期限付き移籍し、サンフレッチェでのプレーは約1年間のみだった。

 2012年にDF辻尾真二がつけた後、2013年は空き番号となった30番は、2014年にMF柴﨑晃誠がつけた。徳島ヴォルティスから完全移籍で加入し、今季でサンフレッチェ10年目を迎える。

 サンフレッチェ加入前は主にボランチでプレーしており、広島でも棟所はボランチだった。しかし2015年、より攻撃的なシャドーのポジションで定位置をつかむと、同年のJ1リーグ優勝に大きく貢献。その後もコンスタントに出場し、中盤を支えている。

 持ち味の正確な技術と的確な判断は、チームメイトの誰もが「天才」と呼ぶハイレベルなもので、38歳となった現在も運動量は衰えない。今季はリーグ戦での出場機会こそ限られているものの、YBCルヴァンカップでは先発出場しており、昨季に続く大会連覇や、そのほかのタイトル獲得への貢献が期待されている。