甲子園を目指し、仲間と白球を追いかけた高校時代。そこで培った経験は、球児たちのその後の人生にも大きな影響を与えた。プロに進んだ選手、社会人野球の道を選んだ選手……。それぞれの道に進んだ元・球児たちが、高校3年間を振り返る。
ここでは、広陵時代に3度の甲子園出場を果たし、現在はカープのユーティリティープレーヤーとして活躍する上本崇司が登場。後編となる今回は、高校野球ファンの記憶に残る“あの決勝戦”、そして「感謝しかない」と口にする、あの名監督との関係を語る。(2022年7月掲載記事を再編集)
◆「これぞ、野球」を体感した夏。恩師との出会いで人として成長できた3年間
僕は1年秋の新チームから試合で使ってもらって、たくさんの経験をさせていただいたのですが、忘れられないのが2年夏の甲子園での、佐賀北との決勝戦ですね。
1学年上の野村祐輔さん(カープ)と小林誠司さん(巨人)がバッテリーで、8回まで4対0でリードしていました。僕はショートを守っていたのですが、正直、勝って優勝できるかなと思っていましたが……8回裏にあの逆転満塁弾ですよね。
高校野球ファンのみなさんの間でも有名なシーンですけど、本当に1球で流れが全部相手に行ってしまって。“これぞ、野球”というものを体感したような気がします。
当時僕は2年生で、もちろん負けてしまった悔しさはありましたが、3年生の先輩方は最後の夏ですから、それこそ僕らとはまったく違う悔しさだったと思います。ベンチに入れない先輩方も泣いていましたからね。僕のこれまでの野球人生を振り返ってみても、あの試合のあのシーンというのはナンバーワンのインパクトです。
広陵は強豪校と言われていましたが、試合ではプレッシャーを感じることはなかったですし、自信を持ってプレーしていました。強いてプレッシャーがあるとしたら、試合に負けてしまうと……あの45秒(「45秒」という名の広陵伝統のランニングメニュー)があるんですよ。いつも、そのプレッシャーはありました(笑)。
高校3年間、中井哲之監督にご指導いただきましたが、本当に感謝しかありません。僕は人間的に高校時代に変わることがきました。当たり前の事ですが、物を大事に使うことだとか、礼儀、そして感謝の気持ちを忘れないことを学びました。
野球の技術はもちろんですが、野球以外の大切なことを教えていただきました。人生は野球だけじゃないぞと。中井監督に出会っていなければ、ろくでなしの人間になっていたかもしれないと思うくらいです。本当に僕にとっての恩師ですし、今でもシーズンが終われば必ずご挨拶に行ってお話をさせていただいています。その度に初心を改めて思い出しますね。
3年間、本当に濃い時間を過ごさせてもらいましたが、やはり苦しい事を一緒に乗り切った同級生は今でも仲が良いですし、一番の仲間です。
考えてみれば、高校野球は約2年半という短い期間ですが、寮生活、練習も厳しさはありましたが、純粋に楽しかったです。本当に青春って感じでしたね。 高校を卒業して10数年経ちましたけど、何年経っても広陵野球部の動向は気になりますね。OBの選手、仲間とは必ずそういう話をしています。
ここ数年間、高校野球もコロナ禍の影響がありますよね。先ほども言いましたが高校野球って青春ですし、高校球児のみんなはそれぞれ目指すものがあるわけですからね。それを考えると何とも言えないものはあります。
あまり軽々しく頑張ってとは言えないですが、人生はまだまだこれからですし、これを良い意味で糧にして、本当に負けずに、日々の高校野球生活を過ごしてほしいです。
上本崇司◎1990年8月22日生、広島県出身
2006年に広陵高に入学。1学年上には野村祐輔(カープ)、小林誠司(巨人)らがおり、同学年には中田廉(カープ)がいる。2年春に甲子園初出場を果たしてベスト8。2年夏には甲子園準優勝。3年夏には2回戦敗退も、同じく広陵高でプレーした兄である上本博紀(元阪神)と兄弟揃っての甲子園先頭打者本塁打を放った。
卒業後は明治大でプレーし、2012年ドラフト3位でカープに入団。長年ユーティリティープレーヤーとしてチームで欠かせない存在として活躍している。