『10』に代表されるように、サッカー界においても度々話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

リーグ戦第9節時点で出場機会はないものの、ストライカーとして大きな期待を集める棚田遼。

◆地元・広島生まれ、ユース出身のエース候補に託された背番号『28』

 これまで取り上げてきた背番号は1年でつける選手が変わった番号も多いが、今回取り上げる背番号28は、当初から複数年にわたって背負う選手が多かった。

 固定背番号制が始まった1997年に28番をつけたのはFW松岡裕弥。愛媛FCユースから加入し、在籍した3年間はずっと28番だったが、公式戦出場はなかった。2000年に背番号28を受け継いだDF八田康介は、28番2年目の2001年にJリーグデビューを果たし、翌年から18番に背番号を変えている。

 その後に2002年から2年間、28番をつけたMF佐田聡太郎までは、すべて高卒で加入した選手だが、2004年に加入したDF吉田恵はプロ経験豊富な選手だった。1996年に同志社大からV川崎(現・東京ヴェルディ)に加入し、ヴィッセル神戸、ジェフ市原(現・ジェフ千葉)を経て加入。2年目は出場機会を減らしたものの、1年目はリーグ戦26試合に出場するなど活躍した。

 2006年には再び高卒加入の選手が28番を背負った。サンフレッチェ広島ユースから昇格したDF槙野智章だ。1年目のリーグ開幕戦からベンチ入りし、最終節でデビュー。1年目のリーグ戦出場は1試合のみだったが、2年目は18試合に出場して飛躍。背番号を5に変えた2008年から押しも押されもせぬ主力として活躍し、高い守備力と効果的な攻撃参加、得点後や試合後に見せる数々のパフォーマンスなどで人気を博した。

 2008年に背番号28を受け継いだのは、同じく高卒加入のMF丸谷拓也。境高(鳥取)から加入した当初はFWで、2009年に公式戦デビューを果たしたときのポジションもFWだったが、2010年から主にボランチでプレーした。

 2012年途中に大分トリニータに期限付き移籍した後、2013年は誰も28番をつけず、2014年に丸谷がサンフレッチェに復帰して再び28番に。2017年限りで退団するまで、サンフレッチェでの9年間はすべて背番号28でプレーした。レギュラーとしてプレーした時期は少ないが、どんな状況で出場しても攻守両面で質の高いプレーを見せる貴重な存在として、チームへの貢献度は高かった。

 2018年の28番、DF丹羽大輝は経験豊富な選手だ。2004年にガンバ大阪ユースからトップチームに昇格し、2007年から複数のクラブに期限付き移籍したのち、2012年にG大阪に復帰。ディフェンスラインの要として2014年にはリーグ戦、ヤマザキナビスコカップ(現・YBCルヴァンカップ)、天皇杯の3冠に貢献し、2015年には日本代表に選ばれている。

 サンフレッチェに加入したのは2017年途中で、J1残留争いの中での緊急補強だった。この年の背番号は40番だったが、2018年に28番に変更。ただ同年途中にFC東京に移籍して退団し、以降しばらく28番は空き番号となっていた。

 2022年、4年ぶりに28番をつけたのはFW棚田遼。2021年、広島ユース所属の高校3年生のときにYBCルヴァンカップに出場したときの背番号は46番だったが、プロ1年目に背番号28を託され、2年目の今季も28番で戦っている。

 本稿締め切り時点で、まだ公式戦での得点はないが、緩急を織り交ぜたドリブルや鋭いシュートは可能性十分。将来のエース候補として、飛躍のきっかけとなる初ゴールに期待が集まる。