2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。

 共に紫のユニホームを着たチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を、広島アスリートマガジンの連載『エースの証言』で振り返っていく。

 今回は、岡山県出身で2001年から広島でプレーした李漢宰(リ・ハンジェ)をフォーカス。北朝鮮代表として日本代表との対戦経験も持つMFとともに戦った日々を、佐藤寿人氏が振り返る。

サンフレッチェ広島でプロキャリアをスタートさせた李漢宰。その後、札幌、岐阜、町田とチームを渡り歩いた。

◆きちんとした上下関係で、自分の意見も伝えてくれた。

 ハンジェのことを知ったのは2005年、僕がサンフレッチェに加入した年です。北朝鮮代表に選ばれ、2月のワールドカップ最終予選の初戦で日本代表と対戦するので注目されていた頃でした。

 同じ1982年生まれですが、学年は僕が一つ上ということもあり、きちんとした上下関係で、最初から先輩として接してくれました。後輩思いでもあり、年上とも年下とも人間関係を構築できる。新しく加入した選手を迎え入れてくれるキャラクターでもあったので、すぐにいろいろと話すようになりました。

 芯が強く、何事に対しても熱い思いを持っていたことが印象に残っています。当時はボランチとしてプレーしていて、僕がストライカーとして要求することに対して、ただ受け止めるだけではなく、自分の意見も伝えてくれました。僕が加入した当時のサンフレッチェはおとなしい選手が多く、自分の意見を主張する選手が少なかったのですが、どの選手とも建設的な意見交換ができるハンジェはバランス感覚が優れていて、他の選手への影響力がある選手でした。

 若手の面倒をよく見ていて、優しい言葉だけでなく、時には厳しい言葉も掛けながら成長を促す、良い兄貴分でもありました。当時一緒にプレーした(髙萩)洋次郎、マキ(槙野智章)、(柏木)陽介などの後輩は、多くのことを学んだはずです。ダメなことはダメだと、言いにくいことでも言ってくれるので、チームにとって貴重な存在でした。

 プレー面での一番の持ち味は、キックの精度。練習中に2人でボールを蹴ることも多かったですが、クオリティーが高く、きちんと狙ったところに蹴ることができる力がありました。身長173センチと大柄ではなく、フィジカル能力が高いわけでもなかったですが、球際の粘り強さがあり、ボールを奪うプレーなどで戦うことができるのも特徴でした。

 プライベートでは、よく一緒に食事に出かけました。趣味が異なるので、オフの日に出かけたりすることはなかったですが、当時独身だったハンジェを僕の自宅に招いたこともあり、いろいろな話をしたことを覚えています。

《プロフィール》
李漢宰(り・はんじぇ)
1982年6月27日生、岡山県出身
ポジション・MF
サンフレッチェ広島/2001〜2009年
2001年に広島朝鮮高から広島に加入。2003年以降に出場機会を増やし、2005年には北朝鮮代表として日本代表とも対戦した。2009年限りで契約満了となった後は札幌、岐阜、町田でプレー。2020年限りで現役を引退して町田のスタッフとなり、2023年から強化担当。