6月4日の京都戦、2ゴールを挙げヒーローに輝いた茶島雄介。広島県出身、ユースで技を磨いた茶島は、大学を経て2014年にトップチーム入りを果たした。

 ここでは、加入1年目に収録した単独インタビューを再編集して掲載する。

 4年のときを経て広島に戻り、再び、紫のユニホームに袖を通した茶島が語るサンフレッチェへの思いとは。当時22歳、ルーキー・茶島雄介の言葉をお届けする。

吉田練習場での様子(撮影は2014年)

負けず嫌いだった茶島少年

—— 生まれ育った広島に帰ってきましたが、久しぶりの広島、そしてサンフレッチェはいかがですか?

「僕が思っている以上に、サポーターの方や友達などが声をかけてくれることで改めて『帰ってきたんだな』と思います。でも自分自身は、プロとしての生活が始まったという感覚の方が強いです」

—— 広島で始まったサッカー人生を伺いたいのですが、まず始めたきっかけは何だったのですか?

「父親が社会人でサッカーをやっていたので、小さいときから父親の試合を観にいったりボールで遊んだり、周りにサッカーがある環境だったので、自然とサッカーをやっていました」

—— サンフレッチェとの繋がりはいつからですか?

「小学1年生のときに仲が良かった同級生の友達が通っていたスクールに『僕も入りたい』と言い出したのですが、それがたまたまサンフレッチェのスクールだったんです。ジュニアユースには、小学3年生くらいに呼ばれるようになりました」

—— レベルの高い環境でプレーすることは幼心にどのように感じていたのでしょうか?

「サッカーが楽しいと感じていましたが、それよりも昔から何をやるにしても負けるのが嫌いだったので、自分よりもうまい人がいると負けたくなかったですね」

—— 負けず嫌いな小学生がしっかりと結果を残し、ユースに昇格しました。

「今までのサッカー人生の中で高校の3年間が一番重要な時間だったと思いますし、森山(佳郎)監督に教えてもらったことが自分の中でとても大きいですね。森山監督じゃなかったら今頃どうなっていたか分からないくらいです。ジュニアユースではチームの中心だったこともあり好き勝手にプレーしていましたが、ユースに上がると3年生とフィジカルの差もサッカーのレベルの差もすごくあって、何もできないと感じました。当時のチームが強かったこともありますが、その人たちと練習でやり合えたことがすごく重要だったように感じます」

—— 成長期を迎える高校の1年の差は肉体的に大きく異なりますよね。

「特に僕は体が小さいので、3年生とは全然違いました。だから、その中でいかに良いプレーができるのかを考えて、より相手とのコンタクトがないようにプレーすることを学んでいきました。スピードだけでも無理なので、相手に当てられないように逆を取るとか、相手に寄せられるタイミングだったら一度戻して動き直すとか、プレースタイルを確立するのに大きな1年だったと思います」

—— 具体的なテーマを持って取り組んできた3年間だったのですね。

「結局、体格も2年になっても、3年になってもデカくなりませんでしたからね(苦笑)。でも自分が生きていく道は、この道しかないんだって思いました。今も好きなんですけど、バルセロナのシャビ(現・監督)やイニエスタ(現・神戸)(ともに身長は170センチ)を見て、練習で実践してみたり勉強してきました」

—— パスの受け方を意識することで、パスを出すときに好影響があったのではないですか?

「3年生になったときのチームではチームメートも小さい選手が多かったので、自分が意識していることを考えながらパスを出していました」

—— ただ、トップチーム昇格はならず、東京学芸大へ進学しました。

「小学生からサンフレッチェでやっていましたし、トップチーム入りは大きな目標でした。高校3年のときに「トップチームに上がるのは難しい」と言われて悔しかったですけど、自分の中でも実力がなかったのは分かっていました。そのときは意外に「大学で4年間もう1回頑張ろう」とすんなり考えることができました。ただ、まさか帰ってくることになるとは、そのときは全く思っていませんでしたけどね」

《プロフィール》
茶島雄介(ちゃじま・ゆうすけ)
1991年7月20日生、広島県出身/166cm・60kg/MF
広島ユースから学芸大へ進学。攻撃の要として活躍し、全国大学選抜に選ばれるなど存在感を放った。2014年に広島加入。2018〜2019年にジェフユナイテッド市原・千葉へのレンタル移籍を経て2020年に復帰を果たした。2023年6月4日の京都戦で、自身7年ぶりとなるエディオンスタジアム広島でのゴールを決めた。同試合では自身初となる1試合2得点もマークしている。