強い意志の下、苦難が続いた闘病の末、先日旅立たれた北別府学氏。近年のプロ野球界のエースは剛球でねじ伏せる選手が多いイメージだが、かつて精密機械と呼ばれた北別府氏の類稀なコントロールには、並いる大打者たちもキリキリ舞いさせられた。

ひたむきに、ただ勝つことだけを目指して大瀬良大地は投げ続ける。

球団創設から70年以上の歴史をもつカープには『北別府』をはじめ、3文字の名字を持つエースが在籍し、球史にその名を残してきた。そんなエースたちの偉業を改めて振り返り、現役ではマウンドで奮闘を続けている大瀬良大地に、歴代エースからの期待と、ファンの夢を託してみようではないか。

◆『小さな大投手』長谷川 良平
1949年に創設されたカープにとって、当時一番の悩みの種は選手不足だった。そんなカープに入団した長谷川は1950年に15勝(27敗)、翌年の1951年にはチーム全勝利数37勝のうち、半分近くの17勝(14敗)をマーク。決して強力とは言えない打線を背に、孤軍奮闘を続けた。以降もエースとして創設間もないカープを牽引し、1955年には30勝(17敗)の成績を収め、最多勝投手に輝いている。

1930年3月25日生、愛知県出身。広島(1950-1963)。197勝208敗、防御率2.65。最多勝利投手1回(1950年)

◆『強気の内角攻めで勝負』安仁屋 宗八
沖縄初のプロ野球選手である安仁屋がカープに入団した1964年。当時、全県あげて安仁屋を応援し、その活躍は沖縄の希望となった。サイドスローから胸元をえぐるシュートで打者をのけぞらし、スライダーで仕留める投球が持ち味。引退後も世界一のカープファンを公言し、球団の外からもカープを支え続けている。

1944年8月17日生、沖縄県出身。広島(1964-74)-阪神(1975-79)-広島(1980-81)。119勝124敗24セーブ。防御率3.08、最優秀防御率1回(1975年)

◆『元祖ミスターパーフェクト』外木場 義郎

プロ2度目の登板で、1四球のみのノーヒットノーランで初勝利を飾ると、以降2度のノーヒットノーラン(うち一度は完全試合)を達成した伝説の投手。力強いストレートと、急速が早く縦に割れるパワーカーブを武器に、安仁屋らとともにカープを牽引した。1975年には、最多勝、最多奪三振、沢村賞のタイトルを獲得しカープ初優勝の原動力となっている。

1945年6月1日生、鹿児島県出身。広島(1965-79)。131勝138敗3セーブ、防御率2.88。最多勝1回(1975年)、 最優秀防御率1回(1968年)、最多奪三振1回(1975年)、沢村栄治賞1回(1975年)、ベストナイン1回(1975年)、最優秀投手1回(1975年)ほか