2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。

 共に紫のユニホームを着たチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を、広島アスリートマガジンの連載『エースの証言』で振り返っていく。

 今回は、広島ユースを経て2006年からトップチームでプレーした柏木陽介をフォーカス。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督のもとで才能を爆発させ、日本代表でも活躍したMFの素顔を佐藤寿人氏が振り返る。

サンフレッチェ時代の柏木陽介。広島の攻撃の要として活躍した。

◆先発出場しても驚かなかった。走力を活かして『おとり』も

 陽介のことを知ったのは、僕がサンフレッチェに加入した2005年です。当時はユース所属の高校3年生で、6月にナビスコカップ(現ルヴァンカップ)のグループステージで公式戦デビューを飾ります。控えのメンバーに入り、先発した僕との交代で68分から出場しました。

 技術が高く、練習参加のときから試合に出場できる力があるところを見せていたので、ユースの選手だからと特別扱いした感じはありませんでした。陽介の武器は技術に加えて、走力があること。運動量を生かし、幅広いエリアをカバーしながら創造性を発揮できます。当時ユースの監督だったゴリさん(森山佳郎氏)に鍛えられた成果でしょう。プロで活躍するためには、うまいだけではダメで、ハードワークしながら技術を生かしていくプレーをたたき込まれたはずです。

 翌2006年、プロ1年目にリーグ戦でもデビューします。サンフレッチェは開幕から未勝利が続いて小野剛監督が退任、中断期間中にミシャ(ペトロヴィッチ監督)が就任するという難しいシーズンでした。新監督の初戦でその年初めて控えメンバーに入った陽介は、2試合目で交代出場してJリーグ初出場。しばらくすると先発の座をつかみ、17試合に出場してJ1残留に貢献しました。

 このときも練習で光るプレーを見せていたので、先発に定着しても驚きませんでした。ストライカーの僕がゴールを決められるかどうかは、中盤からのパスが生命線なので、連係を良くするために、いろいろ話をしました。陽介は僕の要求に応えてくれるだけでなく、走力を活かして『おとり』になるプレーもうまかったです。陽介がここに走ってくれたら、こちらがフリーになるな、というプレーも献身的にやってくれて助かりました。

 一方でピッチを離れると、かわいがり甲斐のある後輩でした。以前この連載でマキ(槙野智章)のことを同じ表現で紹介しましたが、2人はどんな先輩からも好かれる存在で、人を引きつける魅力があるんです。陽介は子ども好きで面倒見が良いので、うちの息子たちもお世話になりました。僕の自宅に来たときは一緒にゲームで遊んでくれるし、練習場に連れていけばボールを蹴ってくれる。息子たちも「ようちゃん、ようちゃん」と喜んで、すっかりなついていました。

《プロフィール》
柏木陽介(かしわぎ・ようすけ)
1987年12月15日生、兵庫県出身
ポジション・MF
サンフレッチェ広島/2006〜2009年
2005年、サンフレッチェユース在籍中の高校3年時に公式戦デビュー。トップチームに昇格した2006年途中に中盤の定位置をつかみ、鋭いパスやドリブルで攻撃の中心となる。2010年に浦和に移籍し、2017年のAFCチャンピオンズリーグ優勝に貢献した。2021年、岐阜に移籍。