2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。

 共に紫のユニホームを着たチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を、広島アスリートマガジンの連載『エースの証言』で振り返っていく。

 今回は、広島ユースを経て2006年からトップチームでプレーした柏木陽介をフォーカス。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督のもとで才能を爆発させ、日本代表でも活躍したMFの素顔を佐藤寿人氏が振り返る。

2023年5月28日、J3岐阜の第11節・カターレ戦で途中出場し8カ月ぶりの復帰を果たした柏木陽介。

◆楽しいことも好きな、人間味のあるところが好き

 早くからチャンスをつかんだものの、陽介なりに苦しんだ時期もありました。2007年はUー20ワールドカップや北京五輪予選に出場し、年代別代表で活躍した一方で、サンフレッチェは二度目のJ2降格となってしまいます。

 翌2008年、チームは開幕から首位を独走してJ1復帰を果たしましたが、陽介はシーズン序盤の負傷離脱もあり、夏の北京五輪本大会のメンバーから落選。リーグ戦では僕が28得点、(森﨑)浩司と(髙萩)洋次郎が14得点ずつ決めた一方で、陽介は4得点に終わり、個人的には不本意な1年だったでしょう。

 ただ、そんなシーズンでも素晴らしいプレーがありました。アウェイでの第27節・C大阪戦。ハーフウェーライン付近でボールを持った陽介は、そのままドリブルでボールを運んで相手選手3人をかわし、最後は左足で鮮やかなミドルシュートを決めました。僕は直前のプレーで相手選手に倒されていたので、ピッチに座って後ろから見ていて『すごい!』と驚いたことを覚えています。

 苦しんだ分、2009年に懸ける思いは強かっただろうと思います。陽介はリーグ戦で33試合に出場して8得点を挙げ、サンフレッチェが復帰1年目のJ1で4位に食い込む原動力となりました。

 この年の第33節・アウェイでの磐田戦でのアシストは忘れられません。陽介は相手ゴールに背中を向けていて、僕のことは見ていませんでした。そこで『ここに走るけど、パスを出せる?』という感じで、試すような気持ちで動き出したんです。すると、振り向きざまに僕の足に吸い付くようなパスを出してきました。ゴールを決めた後は、鳥肌が立ちました。そう感じるほどのパスは、僕のキャリアの中でも数えるほどです。

 ただ、これが陽介からの最後のアシストになりました。浦和から獲得オファーが来ていることや、いずれは海外リーグでプレーしたいという思いはシーズン中から聞いていて、もちろん残留してほしかったですが、最終的にサンフレッチェを離れることになります。

 浦和に移籍してからも連絡を取り合い、食事に出かけたりしました。加入1年目から活躍して『浦和の太陽』と呼ばれるようになり、2017年にはAFCチャンピオンズリーグ優勝に貢献して、大会MVPを受賞。その後もキャプテンを務めるなどチームを引っ張りました。

 2021年に浦和を退団してJ3の岐阜に移籍した経緯から、ネガティブな印象を持つ人もいるかもしれませんが、あれも陽介の優しさが不器用な形で表れた結果だと思っています。もともとサンフレッチェ時代から、クラブのために、という思いが強い。マキや(森脇)良太と試合後の『サンフレ劇場』で盛り上げていたのは、その一端ですね。

 陽介は僕にとって、まさに『太陽』のような存在。すごく真面目かというと、そうではない部分もあり、楽しいことも好きな、人間味のあるところが僕は好きです。昨年10月に右足アキレス腱断裂という重傷を負いましたが、5月28日の試合で復帰しました。

 35歳とベテランの域に入ったとはいえ、走れる選手ですから、まだまだ活躍できるはず。頑張って!

《プロフィール》
柏木陽介(かしわぎ・ようすけ)
1987年12月15日生、兵庫県出身
ポジション・MF
サンフレッチェ広島/2006〜2009年
2005年、サンフレッチェユース在籍中の高校3年時に公式戦デビュー。トップチームに昇格した2006年途中に中盤の定位置をつかみ、鋭いパスやドリブルで攻撃の中心となる。2010年に浦和に移籍し、2017年のAFCチャンピオンズリーグ優勝に貢献した。2021年、岐阜に移籍。