2023年6月16日、カープ球団初の200勝投手であり、コーチ・野球解説者としても愛された北別府学氏が旅立った。“精密機械”と呼ばれる抜群のコントロールでカープ投手王国を支えたエースの訃報に、多くのファン、関係者は悲しみに暮れた。

 ここでは、北別府氏の魂を受け継ぐカープの“エース”たちのインタビューを再編集して掲載する。(初出は広島アスリートマガジン2020年6月号)

6月23日(現地時間)のデトロイト・タイガース戦で復帰登板を果たし678日ぶりの勝利投手となった前田健太(写真は2010年撮影)

◆背番号18の重圧を力に変えて

 前田健太が背番号34を背負っていたルーキー当時の2007年、チームには18年目の大ベテラン・佐々岡真司、絶対的エース・黒田博樹と新旧のエースが在籍していた。そして、2007年限りで佐々岡は引退、オフに黒田はメジャー挑戦を決断。カープ投手陣は急速に世代交代が進み始めていた。

 新たなエース育成が急務となった球団は、一軍登板経験のない高卒2年目の前田に、佐々岡が背負ってきたエースナンバー・背番号18を託した。ここから前田はエースへの道を歩み始めることになる。

「『エグい!』と思いました(苦笑)。背番号が変わるということも1ミリも考えていなくて。しかも18番。でも光栄ですね。僕もその意味は分かっていますし、来年こそやってやる、という気持ちが強まりました。自覚を持ってやらないとダメだと思うし、この番号をもらったことが良い方向に行くと思います」

 負けん気が強く、底抜けの明るさを持つ19歳の若武者は、背番号変更に重圧を感じることもなく、むしろ意気に感じていた。当時のカープは低迷期の真っ最中。投手陣の精神的支柱・佐々岡、エース黒田が抜けたことで大幅な戦力ダウンが懸念されていた。だが、プロ2年目を迎える直前の前田はどこまでもプラス思考だった。

「(佐々岡、黒田が抜けたことを問われ)やっぱりチャンスだと思います。上の人たちはチーム事情が気になると思いますが、自分たち若手としてはチャンスですから。口では寂しいですと言っても、心の中ではチャンスだと思っています(笑)」

 そして迎えた2008年、序盤から一軍で先発の機会を得た前田の初勝利は6月の日本ハム戦。7回2死まで無安打の快投でプロ初勝利をマーク。お立ち台では「初めまして! 前田健太です!」とファンに挨拶するなどインパクト抜群のデビューを飾った。そして後半戦からは完全に先発ローテに定着し、9勝を記録。背番号18・マエケンの名は完全にファンに認知された。

 前田が頭角を現す中で印象的な勝利が2つある。旧広島市民球場最後の公式戦ではプロ初本塁打を放つなど旧市民球場最後の勝利投手に。翌2009年にはマツダスタジアムでのカープ初勝利試合で完封勝ちを収めた。節目での印象的な活躍は新たなスター誕生を予感させるものだった。