カープが球団初のリーグ3連覇を成し遂げた2016〜2018年、3年連続で胴上げ投手となったのが中﨑翔太だ。絶対的守護神として幾度となくチームに勝利を引き寄せてきた右腕は、2019年以降は故障と手術、リハビリを繰り返す日々を送ってきた。

 4年間、思うような結果を残せず苦しんできた中﨑だったが、2022年秋、新井貴浩監督就任時にかけられた一言が、復活に向けた大きな契機になった。ここでは復活までの思いに迫った。(全4回/第2回)

2023年の開幕直後から、フォームの変更に着手したという

◆「プルペンを頼む」。その一言に、何かを変えなければと決意した

—2022年秋には、現役時代ともに3連覇を経験した新井貴浩監督が就任されました。2023年以降は、徐々に一軍での登板数が増えていきました。改めて新井監督への思いを聞かせてください。

「一番印象に残っているのは、新井監督が就任された直後の2022年の秋季キャンプです。それまでの4年間、ケガもあって満足に一軍で投げることができていませんでした。秋季キャンプで新井監督と1対1で話をする機会があったのですが、そこで『ブルペン陣を頼む』と言われました。僕のなかで、この言葉はすごく心に響きました。4年間結果を残せず、来年もどうなるかわからない状況であったにも関わらず、そうして声をかけていただけたことで、より一層『もっとやらないと』という気持ちになりました。そのためにも、自分のなかで何かを変えて、乗り越えなければいけないというスイッチが入った瞬間でした」

—『何かを変えなければ』という決意が強くなったわけですね。ご自身のなかで、もっとも変化させた出来事をあげるとすれば、どの時期になるのでしょうか。

「2023年の開幕後ですね。春季キャンプでは球速も150キロ近くに戻ってきていて、『このままの調子で行ければ』と思っていたのですが、ソフトバンクとのオープン戦で滅多打ちにされてしまいました。その時、『このままではこれまでとやっていることは同じになってしまう』と思いました。この年は開幕二軍スタートだったのですが、二軍行きが決まった次の日から、フォームも含めてすべて変えることを決めました」

—フォーム変更は相当な勇気が必要だったのではないでしょうか。

「そうですね。ただただ『何か変えなければ』という思いだけでした。すぐに投げ込みを始めて、当時二軍の投手コーチだった小林幹英コーチのアドバイスも受けながら、フォーク習得に取り組んでいきました。それまでの投球はスライダー、シュートでの組み立てだったのですが、フォークを織り交ぜた投球スタイルに変えていきましたね」

—故障との戦いは、中﨑投手にとってどのような時間でしたか?

「考え方の話になりますが、若い頃はどうしても自分だけのことを考えがちでした。自分が頑張っているから結果が出ている……というような。でも、そうではなくて、子どもの頃からずっと、野球は1人では絶対にできないということは変わらないですし、そういったことを改めて思い出させてくれて、考えさせられた期間だったと思います。野球選手というか、人間としても成長できた期間だったかもしれないですね」

(第3回へ続く)

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