2010年から5年間カープを率い、25年ぶりの優勝への礎を築いた野村謙二郎元監督。監督を退任した直後に出版された野村氏の著書『変わるしかなかった』から、その苦闘の日々を改めて振り返る。
2012年のペナントレースの話に戻るが、この年のチームは2011年と同じような動き方をした。スタートダッシュには成功するが、交流戦付近で大型連敗。6月の時点で一度ドン底を見るが、夏場にかけて盛り返していく―そういった流れである。
アップダウンの形は前年同様だったが、夏場の盛り返しは前年を上回るものだった。7月を12勝5敗3分というハイペースで駆け抜け、8月3日の勝利で5割復帰。順位も5位から3位に上昇し、CS出場圏内に定着する。
結局この年も優勝を逃すのだからまったく満足はしていないが、しかしこの7月の快進撃はチームとしての成長を十分感じさせるものだった。「この調子で行けば今年こそ最低でもCS出場は果たせるのでは?」という期待感でチームのムードも球場のムードも最高潮に盛り上がっていた。
そして勝負の9月……チームは信じられないような失速を見せた。9月15日からドロ沼の8連敗。結局優勝はもちろん、3位の座を守ることすらできなかった。15年ぶりのAクラスの夢もヤクルトにあっけなくさらわれてしまった。
この年の敗因を一言でいうと、間違いなく“自滅”ということに行きつく。当面のライバルであるヤクルトはケガ人も多く、チーム状態も完全ではなかった。それに対してこちらはケガ人も少なく、形勢は優位に働いているはずだった。