長打が魅力の“将来の4番候補”として、ドラフト2位でカープに入団した内田湘大。『プロは無理』と周囲から言われた高校時代。悔しさをバネに、幼いころからの夢を実現させた内田の、プロ入りまでの野球人生を聞いた。(取材は6月上旬)
◆『プロは無理』反骨心でつかんだ“ドラフト2位”指名。
─今回はルーキーインタビューということで、内田選手のプロ入りまでのお話を伺っていきたいと思います。野球を始められたのはいつからですか?
「小学2年の頃からです。元々サッカーを始めようと思っていたのですが、地域の先輩から『野球しに来ない?』 と誘われて、そこから楽しくて、野球を始めました。始めた頃は人数もそんなにいなかったということもあり、いろんなポジションを守らせてもらっていました。“ここ”というところは決まっていなかったかもしれません。投手、ショートいろんなところについていました」
─小さな頃からプロ野球はご覧になっていましたか? また、その頃に憧れていた選手などはいましたか?
「プロ野球は見ていました。一番最初に憧れたのは、阿部慎之助さん(現巨人一軍ヘッド兼バッテリーコーチ)です。僕自身、小学生の頃は捕手もやっていたこともありますし、阿部さんの打撃に憧れていました。あと、父親と東京ドームにもよく観戦に行っていたので、必然的に憧れるようになりました」
─高校は利根商高に進学されましたが、どのような理由だったのですか?
「あまり選択肢はなかったのですが、中学3年の秋くらいに、あるコーチに出会い、そのコーチが投手としての自分を見出してくれました。その方が、利根商高の福田監督に連絡をしてくださり、僕を見に来てくださったのがきっかけです。そこから福田監督がうちに来てほしいと言ってくださり、進学することになりました。中学の頃から群馬県のボーイズリーグでプレーしていたこともあったので、そこまで高校進学で心配なことはありませんでしたね」
─高校野球での思い出を聞かせてください。
「いろいろありますが、公立高校だったので、練習時間があまり取れず、短期集中でした。きつい練習ももちろんありましたが、他の高校に比べたらそこまできつくはなかったのかなと思いますね」
─高校時代で印象に残っている試合はありますか?
「2年の夏の大会で、県大会の準決勝まで行ったのですが、コールド負けした試合です。その試合で負けた直後から『次の夏に向けて必死に頑張ろう』という気持ちになったことが記憶に残っています」
─甲子園を目指した高校野球生活最後の年はいかがでしたか?
「3年の時は、自分にとっても勝負の年でしたし、自分の夢はプロ野球選手になることだったので個人としても、チームとしても大切な1年でした。なので、本当に結果にこだわって、いままでやってきたことを出しきるつもりでプレーしていました」
─ちなみに内田選手がプロを目指したのはいつ頃からだったのでしょうか?
「野球を始めた時からです。『将来プロ野球選手になりたい』ということはずっと言っていたんですが、中学、高校に入って自分のレベルがだんだん分かってきて、周りからも『なれないだろ』『無理だろ』と言われていたこともあり、“プロは難しいかもしれない”と思い諦めかけていた時もありました。でも“絶対プロになってやる”という気持ちでその人たちを見返すじゃないですが、反骨心というか、そういう気持ちで取り組んでいました」
─投手としても打者としても注目されていましたが、高校の時は、どちらの意識が強かったですか?
「僕は、ピッチングもバッティングも2つとも一番上を目指そうと思ってやっていました」
─高校野球で学んだことは?
「諦めないことを学びましたし、『元気』の大切さを学びました。気持ちの面ですね。たとえば凡退とかをした時に、下を向いていても、何も進歩はないですし、周りから見てもそれまでの選手だと思われると思うんです。どんなに辛くても、結果が出なくても、上を向いて元気を出して頑張っていれば、いつか良い方向に向いてくるということを高校時代に学びました」
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●内田湘大(うちだ しょうだい)
2004年9月22日生まれ、長野県出身 183cm/88kg/右投右打/内野手
利根商高ー広島(2022年ドラフト2位)