『10』に代表されるように、サッカー界においても度々話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

2012年に『29』を背負った野津田岳人(写真中央)。2019年からは森﨑浩司の背番号『7』を継承している。

◆のちに大きく羽ばたいた、『29』を背負った選手たちのエピソード

 今回は背番号『29』を取り上げる。

 29番を背負ったシーズンはそれほどでなくとも、のちにチームを引っ張る活躍を見せる選手が多く、サンフレッチェの『出世番号』の一つと言えるかもしれない。

 固定背番号制が始まった1997年に29番をつけたFW松永一慶は、この年にJリーグデビューを果たして1得点を挙げている。1998年のFW岩村貴久、同年途中からのMF永井篤志はリーグ戦出場がなく、1999年から2001年までのFW吉田幸生は3年間でリーグ戦1試合、2002年から2004年までのFW西村英樹は同じく3年間でリーグ戦4試合の出場だった。

 2005年に29番を背負ったのは、DF森脇良太だ。サンフレッチェユース時代の2004年、高校3年生でナビスコカップ(現ルヴァン杯)1試合に出場しており、トップチームに昇格した年に29番をつけたが、この年も公式戦の出場はナビスコカップでの1試合のみだった。翌年から2年間、当時J2の愛媛FCに期限付き移籍して経験を積んだことが大きな転機となった。2008年の復帰後は背番号を24に変え、堅い守備に加え、攻撃の組み立てでも貢献する力を生かして主力として活躍。2012年のJ1初優勝にも大きく貢献している。

 2006年と2007年に29番をつけた韓国籍のFW趙佑鎮(チョ・ウジン)、2008年と2009年につけたMF内田健太は、どちらもリーグ戦の出場はなかった。ただ内田は2009年途中に当時J2の愛媛に期限付き移籍し、主力として活躍(2012年に完全移籍)。その後も多くのJクラブを渡り歩き、今季もJFLのクラブでプレーするなど息の長い活躍を続けている。

 空き番号となった2010年と2011年を挟み、2012年にはMF野津田岳人が29番を背負った。この年はサンフレッチェユース所属の高校3年生ながら、リーグ戦5試合、ナビスコカップ2試合に出場。利き足の左足から繰り出す強烈なキックと優れた走力を武器に、翌年にはプロ初ゴールも記録したものの、主力には定着し切れない時期が続いた。2016年途中から複数のクラブに期限付き移籍し、2019年に復帰するも、2021年に再び期限付き移籍。復帰した2022年も当初はリーグ戦のメンバーから外れていたが、その後に定位置をつかむと大車輪の活躍を見せ、ルヴァン杯の初優勝に貢献した。

 2013年に背番号29を背負ったのは、FW浅野拓磨。四日市中央工高(三重)から加入し、最初の2年間はリーグ戦での得点がなかったが、2015年に初ゴールを決めると、抜群のスピードを駆使してリーグ戦で8得点を挙げる活躍。ガンバ大阪とのチャンピオンシップ決勝第2戦では貴重な同点ゴールを決め、3回目のJ1制覇に貢献した。背番号を10に変えた2016年途中に海外クラブに移籍し、現在はドイツでプレーしている。昨年のワールドカップに日本代表として出場し、ドイツ戦で2-1の歴史的な勝利につながる逆転ゴールを決めたのは記憶に新しい。