『10』に代表されるように、サッカー界においても度々話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

2023年11月25日、エディオンスタジアム広島ラストゲームで前半11分にプロ初ゴールを挙げた。

◆GK、守備陣、攻撃陣・・・数多のプレーヤーが期待とともに背負った背番号

 今回取り上げる背番号『31』は、歴史を振り返るとGKがつけた時代が長い。そのほかDFなど守備の選手が多い一方で、近年は攻撃の選手がつけることもあった番号だ。

 固定背番号制が始まった1997年に背番号31をつけたのはGK上田実。1996年に加入し、2年間で公式戦出場はなかった。翌1998年から2000年も再びGKの植田元輝が31番をつけたが、3年間で公式戦には出場せず退団している。2001年にはサンフレッチェ広島ユースから昇格したFW寺内良太が背番号31となったものの、公式戦出場は天皇杯での1試合のみで、同年限りで退団した。

 2002年にはカメルーン国籍のDFビロングが31番をつけている。同国代表として1998年フランス・ワールドカップに出場した実績を持ち、運動能力の高さが持ち味の黒人選手として大きな期待を集めていた。だがサンフレッチェは同年、序盤から低迷して残留争いを強いられ、史上初めてシーズン途中での監督交代があるなど混乱。ビロングはリーグ戦25試合に出場したもののチームはJ2降格となり、1年で退団となった。

 翌年以降、31番は再びGKの背番号に。2003年と2004年はGK河原正治がつけたが、公式戦出場はなかった。2005年はサンフレッチェ広島ユースから昇格したGK佐藤昭大が受け継ぎ、同年に当時の正GK下田崇の負傷に伴ってJリーグデビューを果たしてリーグ戦8試合に出場。2007年の期限付き移籍を経て復帰した2008年から再び31番を背負い、同年はリーグ戦24試合、翌2009年は6試合に出場している。

 佐藤の退団後、2010年から2015年まで長く空き番号となった31番は、2016年にFW宮吉拓実が受け継いだ。京都サンガF.C.のアカデミーからプロになり、当時J2での戦いが続いていた京都の希望の星となっていただけに、初めて完全移籍で京都を離れた決断は大きな話題となった。ただ、1年目はリーグ戦13試合に出場して4得点を挙げた一方で、負傷離脱した時期も長かった。2年目の2017年はチームが残留争いに巻き込まれたこともあり、8試合で無得点に終わって、この年限りで退団している。

 2018年の31番も攻撃陣で、タイ国籍のFWティーラシンが受け継いだ。タイ代表として現地で抜群の知名度を誇るストライカーのJリーグ初挑戦とあって、現地の番記者が来日して密着し、タイ向けに連日ニュースを届けていたのが印象的だ。

タイから来日した記者(写真右)が、安芸高田サッカー公園(吉田練習場)でも密着取材を行った。写真左がティーラシン。

 同年ホームで行われたリーグ開幕戦は、相手チームにもタイ国籍の選手が加入していたため、来場者にタイ国旗が配られるなど、同国を意識したイベントが数多く行われた。ここでティーラシンは先発出場し、決勝点を奪って1-0の勝利に貢献する素晴らしいスタートを切る。最終的にリーグ戦32試合に出場して6得点を挙げながら1年で退団となったが、開幕戦でのゴールはタイ国籍選手のJリーグ初得点であり、リーグの歴史に名を刻むこととなった。

 2019年から3年間は空き番号だった31番は、2022年にDF中野就斗が受け継いだ。

 当時は桐蔭横浜大に在籍中で、卒業後の新加入が内定しており、特別指定選手としてリーグ開幕戦で31番をつけてベンチ入り。後半に途中出場してJリーグデビューを飾った。卒業後の2023年に正式に加入し、背番号は15番に変わった。開幕当初は先発メンバーだったが、やがて控えとなり、メンバー外となることも。だがシーズン終盤は主に右サイドで定位置をつかみ、第33節でJリーグ初ゴールを決めた。来季以降、さらに成長してサンフレッチェの時代を担う存在となることが期待されている。