新井貴浩監督1年目となった2023年シーズンのカープは、全員野球で周囲の下馬評を覆す戦いを展開し、5年ぶりAクラスとなるリーグ2位となった。

 チーム快進撃を続けていたが、主軸打者の離脱もあり打線固定には苦戦した。特に中軸である4番打者に関しては7選手が起用された。菊池涼介、上本崇司らサプライズ起用を経て、シーズン終盤に西川龍馬が離脱した際に“プロ初の4番起用”となったのが、プロ14年目の堂林翔太だった。

 堂林は昨季、前半戦こそ苦しんだが球宴明けから好調な打撃を見せた。8月には月間打率.371、5本塁打、13打点と、主力打者が離脱した時期にバットでチームを支えた。9月12日に4番に抜擢されると、シーズン終了まで固定された。昨季は結果的に3年ぶりの二桁本塁打となる12本を放ち、改めて長打力を発揮し、オフには選手会長に就任した。

 ここでは、今季カープのチームリーダーとして期待がかかる堂林のプロ入りから昨季までの改めて振り返っていく。(全2回・前編)

写真は2012年、プロ3年目でブレークした当時の堂林。

◆2010年 フレッシュ球宴で鮮烈本塁打

 華々しい高校野球甲子園の優勝投手から、強打の内野手として入団したプロ1年目は、二軍生活に終始。二軍では規定打席に到達し、打率.203、7本塁打、32打点をマークした。監督推薦でフレッシュオールスターにも出場し、本塁打を放った。

◆2011年 三塁・遊撃の守備に挑戦

 プロ2年目のシーズンも、体づくりと野手としての経験を積む目的で一軍での出場はなかった。ウエスタン・リーグでは前年を超える103試合に出場したものの、挑戦していたサード、ショートの守備、打撃も不振に終わった。

◆2012年 3年目、ついにスタメンデビュー

 2012年3月30日の開幕戦に「7番・サード」スタメンで一軍デビュー。その後も一軍に食らいつき、チームトップの14本塁打を放つなど全試合出場でニュースターの誕生を印象付けた。球団野手最年少で球宴にも初出場を果たすなど、プロ3年目でブレークを果たす。

◆2013年 背番号『7』を継承

 前年の活躍もあって背番号7番に変更。2年連続の開幕スタメンを勝ち取るも打撃不振が続いた。プロ初のサヨナラ本塁打や2年連続球宴出場など見せ場もあったが、8月下旬に四球で左手を骨折し戦線離脱。初のCS出場に沸く中、悔しいシーズンとなった。

◆2014年 開幕一軍も、負傷に苦しむ

 内野のポジション争いが激化するなかで、キャンプでは外野守備にも挑戦した。開幕はサードスタメンを勝ち取ったが、シーズン途中に骨折で離脱し、後半は「1番・ライト」が定位置となった。存在感を示しながらも出場試合数は減るなど、不完全燃焼で終わった。

◆2015年 由宇でもがいた苦しいシーズン

 キャンプで再び内野に専念し再起を期すが、開幕前に降格し二軍スタート。4月序盤に一軍登録されるも結果を残せず、一軍と二軍を行き来する苦しい日々を過ごした。二軍では10本塁打と意地を見せたが、一軍出場はわずか33試合、0本塁打で終えた。

◆2016年 優勝に湧く中、悔しい二軍生活

 サードのポジション争いでさらに厳しい立場に追い込まれ、2年連続の二軍スタートに。一軍と二軍を行き来しながら、要所で本塁打を放つなど存在感も見せたが、スタメン定着には至らず。25年ぶりの優勝の瞬間は一軍ベンチで迎えていた。

【広島アスリートマガジン2月号】
上本崇司選手と堂林翔太選手が表紙を飾ります★!
▶︎広島アスリートマガジンオンラインショップ

▶︎Amazon