シーズン開幕に向けて、熱い練習が続くカープ日南キャンプ。初の一軍春季キャンプスタートとなり、連日必死に汗を流している若手選手の1人が、プロ2年目の外野手・久保修だ。
大阪観光大初のプロ野球選手として2022年ドラフト7位でカープに入団。大阪出身ながら島根県の高校野球名門・石見智翠館高へ進学。その後は地元の大阪観光大に進んだ。しかし大学2年時、練習中に大きな故障を負い、コロナ禍も重なり久保は野球人生のどん底にいた。
「3カ月くらい練習にも出ず、このまま野球を辞めようと常に考えているくらいまで気分が落ちていました」
そんな久保を救ったのが、かつてヤクルト、広島、近鉄などでコーチとして活躍し、同大学野球部で指導をする伊勢孝夫特別アドバイザーだった。そんな恩師の言葉により、久保の野球人生は大きく変化していった。
「そんな時に伊勢コーチから電話がかかってきて、ちょっとグラウンドまで出てこいと呼び出されました。伊勢コーチに会いに行くと『お前はこれからどうしたいんや?』と聞かれ『辞めたいです』と答えたら、初めてコーチに怒られたんです」
伊勢コーチは「お前は足もあるし守備も良い、打撃さえ伸ばせば、野球で上を目指せる選手になれる。こんな所で立ち止まるな」と励ました。ここから久保の意識は徐々に変わっていったという。
「本当に自分を認めてくれる人がいるんだということを感じられ、それがすごくうれしかったですね。プロ野球の世界でさまざまな選手を見てこられたコーチからそう言ってもらえたので、『この人に付いていこう、もしダメでもこの人となら納得できる』と思って、真剣に野球と向き合うようになりました」
恩師の言葉と熱心な指導が久保を変えた。守備とスピードを武器に、大学2年秋、3年秋には近畿学生野球リーグ二部でベストナイン、4年春にはリーグ一部でベストナインを受賞。一気に評価を上げてプロ入りを実現させた。
そしてプロ1年目となった昨シーズン。春先の故障などもあったが、二軍で61試合に出場して、打率.190という結果だった。
「春のキャンプはいきなりケガをして合流できなかったのですが、その時は早く治して、 絶対にアピールしてやるぞという気持ちが常にありました。でもいざケガが治って、チームと合流した時に、野球だけに捧げる日々の厳しさというか、毎日練習をして試合をするという、当たり前のようで当たり前ではない世界に付いていくのがやっとでした。まず技術うんぬんよりも、体力やしっかりとした体をつくることが課題だなということをすごく感じました」
いきなりプロの高い壁にぶち当たったが、収穫もあった。手応えを感じ始めていたシーズン終盤、9月20日に1試合ではあるが初の一軍昇格を果たした。出場こそなかったが、クライマックスシリーズ地元開催・2位を目指していた一軍の雰囲気を経験した。
「福地(寿樹)コーチや廣瀬(純)コーチは『お前の課題は打撃だけだ。それさえクリアすれば、絶対に上に行ける』と言い続けてくださっています」
大学時代は決してレベルの高いリーグとは言えなかっただけに、プロの投手のレベルを痛感した。しかし「絶対に打てないという感覚はありませんでした」と自らの成長も感じていた。シーズン終了後はフェニックス・リーグのメンバーとして実戦を積み、11月からは日南秋季キャンプで鍛錬の日々を送った。
「どうして打てないんだろうと、いろいろと考えてみたりもします。ですが、僕の課題は明確で、とにかく打撃を向上させること。その最大の課題に対して、毎日試行錯誤を繰り返しています」
秋のアピールに成功し、春の一軍キャンプスタートのチャンスを掴んだ背番号56。「すべてにおいて高いレベルでプレーできる走攻守の三拍子揃った選手」を目指すべく、日南での猛アピールを続けていく。