2005年から12年間をサンフレッチェ広島で過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。共に紫のユニホームを着た数々のチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を振り返っていく連載企画。

 今回は、2009年から2013年まで広島でプレーした、中島浩司との思い出を振り返る。(全2回・前編)

2009年から引退した2013年まで広島でプレーした中島浩司。2024年には、息子・洋太朗がトップ昇格し、背番号『35』を受け継いだ。

◆サッカーセンスの塊のよう。多くの共通点があった

 ナカジさんはジェフ市原(現千葉)、ベガルタ仙台と、僕もプレーしたクラブに在籍した経験がありますが、チームメートになるまで接点はありませんでした。

 仙台と千葉を契約満了になってはいましたが、一緒にプレーすると本当に頭が良く、サッカーセンスの塊のような選手だと感じました。当たり前のことを当たり前にできる技術の高さや、シンプルに味方を使う判断など、プレーに無駄がないことも印象的でした。

 イリアン(・ストヤノフ)に代わって3バックの中央に入った時は、1トップの僕や攻撃陣の顔ぶれにアジャストしてくれました。イリアンは一発で決定機になるパスを狙うので、その分ミスもあるのですが、ナカジさんはミスが少なく、かといって常に安全第一というわけでもなく、そのバランスが絶妙でした。

 サンフレッチェに加入した年に32歳となり、ベテランの域に入ってくる年齢でしたが、1年目から多くの公式戦に出場しました。オンとオフを自然体で使い分けて、メリハリがしっかりしている選手だな、と感じたことを覚えています。

 4歳年上のナカジさんと僕は、サッカーシューズのメーカーが同じヒュンメルという以外にも、多くの共通点がありました。仙台と千葉に在籍していたので共通の友人・知人が多く、また長男と次男が同い年で、子育てのタイミングも同じ。プライベートで出かけることはあまりありませんでしたが、何かと話すことが多く、自然体の付き合いがありました。

 二度の契約満了などの苦しい時期を経験している年長の選手の存在は、クラブにとって大きかったです。そしてそれはキャプテンの僕にとっても同じで、ナカジさんだからこそ、時には厳しいことも言えました。