─ その後報道などにもある通り、サーフィンをやられたりしていたようですが、再び野球の道に戻られます。何かきっかけとなる出来事があったのでしょうか?
「本腰は入れていませんでしたが、野球にずっと未練があったんです。もう一度本格的に野球を始めたのは父親から「野球をもう1回やってみたらどうだ」と言われたことが一番の理由です。「サーフィンはいつでもできるけど、野球は今しかできないから」という言葉がすごく響いたんです。野球部の監督さんと、部員のみんなも暖かく受け入れてくれたことがとてもありがたかったです。

─ ケムナ投手にとって、お父さんはどんな存在ですか?
「父は、全面的に僕のことをサポートしてくれましたし、本当に感謝しています。父親の言葉がなかったら、今の自分は絶対にないと思います」

─ 投手はその時からやっていたのですか?
「投手は高校2年の年明けから、高校3年の春にかけてやり始めました。自分から「投手をやらせてください」と言ったんです。客観的に自分を見たときに、野手として、高校レベルの野球に自分ではついていけないと判断したんです。夏の大会でも投げることができましたし、甲子園出場はなりませんでしたが、日本文理大に進学し野球を続けることができました」

─ 192センチの長身を生かした投球が持ち味のケムナ投手ですが、身長はいつ頃から伸びていったのでしょうか?
「一番伸びたのは、中学と高校の時、それぞれ10センチぐらい伸びました。中学校入学時は169センチ、そして卒業する時には180センチだったと思います。高校を卒業した時は190センチあるかないかぐらいでした。大学に入ってからも少し伸びましたね。さすがに今は、伸びていないと思います(笑)」

─ ケムナ投手の野球人生の中で影響を受けた人物などはいますか?
「大学の監督やコーチからの指導はもちろんですが、大学で実力を伸ばせた一番の理由は、チームメートたちに恵まれていたからだと思います。大学入学当時は、投手経験が浅かっただけに、最初はメニューを消化するのもやっとでした。ただ、負けず嫌いだったので、絶対周りの人たちを追い越してやると思いながら、努力を続けていました。周りの仲間たちも、自分が疲れて休みたいと思っているときでも「頑張ってやろう!」と声をかけてくれたので、ここまでやってこれたのだと思います。人の縁に恵まれて、ここまでこれたことは間違いありません」

─ 大学時代に投手としての実力を伸ばされたようですが、具体的にどのような点が向上したのでしょうか?
「大学で体重が増えたことで、球速が一気に10キロ以上上がりました。入学当初は140キロ出るかでないか、ぐらいだったと記憶しています。球速が出るまでは制球力もある程度良かったので、変化球を多く投げていたんですが、だんだんと腕が出てくるタイミングが遅れ始めてきて、制球がなかなかうまくいかなくなってきました」