写真は王子時代の西川。敦賀気比高を経て13年に王子入社。1年目は故障に悩まされたが、3年目には社会人日本代表に選出されるなど評価を上げた。13年秋のドラフトでカープに指名され、プロ入りの目標を達成した。

 西川の社会人3年目となる15年、転機がやってきた。稲場がチームの監督に就任したのである。新たな指揮官は、西川のプロ野球への夢を知っていた。だからこそ、思い切った言葉をかけた。

 「プロに行きたいなら、うちでクリーンアップを打てる選手でいないといけない。春からは3番を用意する。やれるだけやってみろ」

 能力を認めるがゆえの言葉だった。ただ、チーム全体のこともある。当然、3番打者として結果は求められてくる。

 「体は細かったですが、センスがある選手だと思って見てきました。そのイメージで副部長時代から見てきて、プロに行きたいという気持ちも聞いていました。それなら、本気で取り組まないといけないと思ったのです」

 打撃面の改善ポイントは頭にあった。

 「もともとの彼は、体が大きくないぶん反動で打ってしまうところがありました。上半身の反動を使って打球を飛ばすタイプです。でも、プロの世界でやるなら、そこを改善しなければならないと思ってアドバイスさせてもらいました。反動で打つことを改善しないと、もうひとつ上のレベルでは厳しいぞ、と」

 具体的なアドバイスと共に稲場は、こう付け加えた。

 「俺の人生ではないから、絶対やりなさいということではない。良いと思ったら、やってくれればいいぞ」

 そもそもの指導方針が、考え方やスタイルを強制するタイプではない。むしろ、選手の自主性も重んじながら、王子を社会人屈指の強豪チームに導いてきた。ただ、稲場はその後の西川の姿を見て、成長を確信した。

 「アドバイスをした翌日だったと思います。西川が外野のフェンス付近で、一人でバットを振り込んでいたのです。彼は、自分で努力ができる選手でした」