カープ機動力野球の萌芽

「走って1つでも先の塁を狙って1点を奪いに行き、その1点を、投手を中心とした守りの野球で勝ち切ることを基本線として考えています」

佐々岡真司監督は就任直後、『広島アスリートマガジン2019年12月号』のインタビューで機動力野球の継承を明言していた。

今回はカープの伝統といわれる“機動力”をテーマに取り上げてみたい。

機動力とは意図的な“動き”によって心理的に相手を揺さぶり、パワーバランスを崩していくものである。例えば、バントや盗塁、ヒットエンドランなどの動きを駆使することで、相手の守りの選択肢は増えることになる。その結果、相手は迷いが生じ、判断が鈍ることになる。

将棋で形勢を覆すために飛車、角、桂馬、香車といった飛び駒を大胆に機動させるように、相手の想定外の状況をつくり出すことで、チャンスの芽が生まれるのだ。

カープの第一次黄金期は投手力とこの機動力野球によって確立されたといえるだろう。

当時のカープには髙橋慶彦、山崎隆造、正田耕三といった機動力野球の申し子たるスイッチヒッターがいた。彼らはいずれもカープ入団後にスイッチヒッターに転向した。彼らにそれを勧め、指導したのが古葉竹識監督だった。

古葉監督は現役引退後、南海ホークスで故・野村克也監督のもとコーチとして野球を学び直し、「一つのプレーを大切にすること」を徹底した。その緻密な野球はカープで見事に結実し、初優勝含めた4度のリーグ優勝、3度の日本一に輝いた。

この時代に築き上げられた“古葉野球”こそが、カープの機動力野球のアーキタイプ(原型)といえるだろう。