フュージョン(融合)された機動力

1987年、西武対巨人の日本シリーズ第6戦、2-1の西武1点リードの8回裏に衝撃的なシーンが生まれた。二死からヒットで出塁した一塁走者の西武・辻発彦(現・西武監督)は、続く秋山幸二のセンター前ヒットで三塁ではなく、本塁を陥れたのだ。このプレーでリードを広げた西武は日本一を決定づけた。

この驚異の走塁は、センターを守っていたクロマティの緩慢な返球、カットマンとなった川相昌弘の回転方向などのデータを考慮して行われた必然的な走塁であり、相手の隙を突く当時の西武野球を象徴したプレーだった。

森祇晶監督率いる西武は1986年から1994年にかけての9年間に8度のリーグ優勝(6度の日本一)を成し遂げた。黄金期の西武野球は現代カープが目指すべき野球のプロトタイプ(類型)になるのではないだろうか。

もちろん、カープにおいての機動力野球は伝統ではあるが、機動力が勝利に直結したと言えるのが、2016年からの3連覇だろう。特に2016、2017年のリーグ連覇では、河田雄祐一軍外野守備走塁コーチ(現ヤクルトコーチ)の存在がクローズアップされた。

河田コーチは1985年にカープに入団。伝統の機動力野球を若手時代から叩き込まれてきた。1996年に西武移籍後は、西武の緻密な野球を体感した。2002年に現役引退後は、長年西武のコーチとして活躍。2016年、20年ぶりにカープに復帰した。

「まずは“牽制がないとして、二塁にタイム走をするとしたら、どういう構えを取るか?”という部分の練習から始めました。その指導により、一番ハマったのが(田中)広輔かもしれません」

そう語っていたように、河田コーチは就任直後の秋季キャンプから、チームにもう一度走る意識を再徹底させていった。その結果、チーム盗塁数は前年の80個から、リーグトップの118個を記録した。機動力の加速は25年ぶりの優勝を引き寄せた一因だろう。

積極的に次の塁を狙う姿勢を評価し、失敗を許容したその指導は、選手の走塁意識を変えていた。続く2017年には、リードオフマンである田中広輔は35個の盗塁を決めて初の盗塁王に輝いた。連覇を果たしたカープの攻撃を、確実に機動力は後押ししていたと言えるだろう。

そしてもう一人、カープの攻撃における意識改革をもたらしたのが、石井琢朗コーチ(現巨人コーチ)だ。石井琢朗はカープの機動力野球をさらに高度なレベルに昇華させたキーパーソンである。

石井琢朗は2012年に現役引退後、内野守備走塁コーチとしてチームを支え、2016年には打撃コーチに就任。ここから石井は打撃陣の意識改革を進めていく。かつて、広島コーチ時代には、打撃コーチとしてこう語っていた。

「攻撃というのはどうしても打つ方に目がいってしまいがちなんですが、打撃と走塁を含めて点を取れることだと思っています。攻撃のときは守備のことを考える、守備のときは攻撃側のことと守備体系などを考えながら守るということを考えていました。見方としては守備側からの目線での攻撃です」

石井は現役時代、4度の盗塁王、2度の最多安打を獲得し、2000安打も達成した打者であると同時に、ゴールデングラブ賞に4度輝いた守備の名手でもある。

「たとえば『4タコで終わるくらいであれば、最後の打席で四球を取って3タコで終わる』と思うことです。凡打で打率は落ちているかもしれませんが、出塁率からすると、.250上がります。そういう積み重ねが長いシーズンのなかで波を小さくすることにつながっていきます」

かつて、広島アスリートマガジンのインタビューでそう語っていたように、石井は打撃コーチとして、攻撃、守備の両面から、7割の凡打を意味づけ、カープ打線に“貢献打撃”を意識づけた。

「どういう打撃をされたら相手は守りにくいのか」「最悪の結果は何なのか」

カープの打者は凡打を生かすため、リスクマネジメントして打席に立った。

石井は結果で評価されがちなプロ野球において、プロセス評価を持ち込み、打線に「つなぎ」という新たな色を加えたのだ。