プロ3年目の2012年、一軍デビュー元年に14本塁打を放つ活躍を見せた堂林翔太。『若きスラッガーの誕生』を予感させる当時の堂林について周囲はどのように見ていたのか? 2012年に堂林と三遊間コンビを組んでいた梵英心氏に、当時のプレーを語ってもらった。

堂林選手が一軍デビューした2012年にショートを守っていた梵氏。プロ野球選手としての“雰囲気”、スター性は当時から感じるものがあったという。

◆周囲が期待するのも頷ける雰囲気を持った選手だった

 今季は堂林選手が、本当に素晴らしい活躍を見せていますね。個人的には長年共にプレーしていましたし、苦労した時間が長かっただけに活躍する姿をみると、感慨深いです。ぜひこのまま好調を維持して欲しいと願っています。

 彼が一軍デビューを果たした2012年当時、僕は堂林選手と共に三遊間を守っていました。この年は結果的に堂林選手と自分が規定打席に到達することになりましたが、当時は野村謙二郎監督の下、チームは転換期とも言える時期でした。そういう意味でも堂林選手はその筆頭格とも言える選手だったでしょう。あの年の堂林選手は三振数(150個)やエラー数(29個)を見て分かるように、まだまだプロ野球選手として荒削りでした。しかしチームトップの14本塁打を放ち、プリンスと呼ばれるなど、当時のチームの中ではスターとなれる要素を感じる選手であったことに違いありません。チームや首脳陣から、大きく期待されているということは、選手である自分も肌で感じていました。

 2012年当時、彼は高卒3年目の21歳でしたが、特に守りの面ではまだプロの打球に慣れずに苦労していました。もう少し突っ込んだ言い方をすれば、まだ自分の中で“これ”という形が出来上がっていない状況で試合に出場していた状態でした。そういう意味で言えば、当時の彼はとにかく試合に出場し、たくさんの失敗を重ねる中で一つひとつプロの厳しさを知っていく貴重な時間だったのだと思います。

 1、2年目はそこまで話す機会はありませんでしたが一軍にいるとなると、当然会話をする機会も増えました。しかし、僕からそこまで熱心にアドバイスを与えた記憶はありません。というのも、まだまだ若い選手で、自身の立場もはっきりしていない中でプレーしている状態だっただけに、『自分が何か余計なことを言って気を遣わせてはいけない』という思いを持っていたからです。これは堂林選手に限った話ではありませんが、若い選手はとにかく一軍で戦うことに必死だと思いますし、まだ周囲のことを見渡す余裕などありません。ですので『今はとにかく自分のために頑張ってくれ』という風に声をかけていたように記憶しています。

 堂林選手から強く感じていたことは、佇まいや、野球選手としての独特の雰囲気です。一軍デビュー当時から他の選手が持っていないようなスター性、あるいは華やかさ、そういう部分については周囲も素直に認めざるを得ないものを持っていました。一流の選手が集まるプロ野球の世界でも、そうした部分は目立っていましたし、『そんな雰囲気を持っている選手が成長を遂げたら、どんな選手になるのだろう』と周囲が期待するのも当然の事だと思います。

 彼の性格については当時から意外と激しい一面も持ち合わせていました。“プリンス”と呼ばれているだけに爽やかな顔をしていますが、しっかりと芯を持った選手ですし、当時から失敗してしまったことはしっかりと悔しいと表現していました。若い選手でしたが自分がやらなければいけないこと、取り組まなければいけないことはしっかりと自覚しているなという印象を持っていました。