―これまでに思い出に残っているエピソードがあれば教えてください。
「チーム存続のために奔走してくれた高橋健次さんという方がいるのですが、当時ゴルフ練習場や居酒屋を経営していて、僕たちもよく行っていました。古河が廃部になり、日本リーグの加盟申請の期日が迫っている日、練習場の近くの露天風呂に行って、高橋さんたちとお風呂に入っていたら、あるおじさんが『君たち良い身体しているね』と話しかけてくれたんです。そこで高橋さんが『アイスホッケーの選手なんですよ』と言いました。そこで話を聞いたら、話かけてくれたのは日光猿軍団の間中校長先生だったんです。高橋さんがお風呂の中で『お金が無くて大変なんです』と話すと、猿軍団が資金を出してくれたんです。あの出会いがなかったら、今のアイスバックスはないと思います」
―25年前の発足当時に選手として在籍していたチームで、監督を務めるということはどんな気持ちですか?
「光栄ですが、変な気もします。当時の自分は25年後に監督ができるなんて全く想像もしていなかったです。ホッケーのコーチをやりたいとは思っていましたが、まさかアイスバックスでやるとは……。やはり、縁なんでしょうね。監督になるにはそれ相応の覚悟が必要ですし、不安がないといったらウソになりますが、チャレンジしないといけないと思いました。もちろん、齋藤哲也がプレイングコーチとして助けてくれましたが、現場の責任者は僕です。25年前は勝てなくて弱いチームでしたが、アイスバックスは強いチームになる努力をしている途中です。現役選手の頃は西武で優勝を経験しているので、古河やアイスバックスに何が足らないかも見てきました。時代、選手、予算全てに関わることですが、25年経って、やっとアイスバックスは勝てるチームになってきています。まだ強いチームとは言えないかもしれませんが、トップチームと肩を並べられるようにはなったなと思っています」
―現在の選手たちには、アイスバックスの歴史とどのように向き合って欲しいですか?
「『昔は、そんなことがあったんだ』という感じですかね?……美談ではないですし、美談にはしたくないという思いもあります。でも、あの頃があって、健次さんや当時のファンのみなさんが奔走して、選手が頑張って、そういう人たちがいたからこそ、今のアイスバックスがあるのは事実です。これから選手が入れ替わったとしても、レガシーは継承してほしいです。過去にも全て意味があると思っています」
―今後のアイスバックスをどんなチームにしていきたいですか?
「これからもファンのみなさんや地域に愛されるのは間違いないと思います。その上で日本のアイスホッケー界を牽引して欲しいです。企業チームが衰退して、ほぼ消滅しているような状態ですが、我々はパイオニアですし、成功していると言えると思います。現在は、神戸や名古屋にチームが発足していますし、より多くの人にアイスホッケーを見てもらうには、アイスバックスが一番ノウハウを持っているので、それを示さなければいけないと思います。身の丈に合ったチーム運営の中で強くなるだけではなく、ジュニア育成のプログラムをつくって、選手も育てたいです。それが収入源にもなりますし、サイクルがうまくいくようになればチーム数も増やせますし、アイスホッケーを見てもらう機会を増やしていくことができます。ですので、いまはそれが課題でもありますね」
―まさに、アイスバックスだからできたことですね。
「マイナースポーツで、こんな小さな町で、アイスバックスの成功は奇跡ですよね。僕らが現役の頃はチームの存続のために試合をしていました。それが『存続』から『戦える』になり、今は『優勝』を狙えるようになりました。変わっていくものだな……としみじみ感じます。企業資本ではないアイスバックスが日本一やアジアリーグで優勝することは、とても価値が上がることです。勝てるようになったその先は『常勝』が待っていますし、僕たちは、突っ走るしかないと思っています」