── その後、菰野高に進学されましたが、同校に進学した理由を教えてください。
「兄が2人とも菰野高に進学して、自分も中学1年の頃から菰野高の監督さんにずっと見てもらっていたことが一番の要因です。県外の高校から声をかけていただいていたので正直迷う部分もありましたが、当時不安があった腰の状態をしっかり考えてくださったことも、進学の決め手になりました」

── 高校時代の戸田直光監督の育成方針はどのようなものだったのでしょうか?
「投手が故障しないために、日々練習メニューを考えていただきました。投球制限もしっかりしていましたし、投手の名前、日付が記入された用紙に『ノースローの日』『軽めの練習の日』『投球練習の日』といった形で自分の練習スケジュールが書かれていたのですごくやりやすかったですね」

── 在学当時は、層が厚い投手陣だったとお聞きました。
「岡林さん(飛翔・元カープ)を含め1学年上に2人良い投手がいて、僕の下の学年に岡林さんの弟(勇希・中日)もいて、みんなで切磋琢磨しながら練習に取り組むことができていました」

── ちなみに打撃でも高校通算30本塁打を記録されています。現在も打撃に自信はありますか?
「プロに入ってからは全然バットを振っていないので、今は全然打てないと思います(苦笑)。ただ打撃自体はすごく好きですね」