カープを象徴するマスコットキャラクターである『カープ坊や』。初優勝を果たした1975年に誕生し、2025年で誕生50周年を迎えたカープの人気者だ。今回は、カープ坊やの生みの親であるイラストレーターを直撃。誕生の裏にある秘話を語ってもらった。
今年でカープ坊やが50周年を迎えるということで、素直にうれしく、ここまで支持されてきたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
1975年前までは弱小チームでしたが、ルーツ監督が就任してカープのチームカラーを赤に変更にしました。選手の気持ちを燃える赤にするという意味合いもあったようです。そして選手の野球道具を運ぶ専用のトラックが導入され、そのトラックにもペットマークを入れることが決まっていたようです。
当時私は広告代理店でさまざまな広告デザインを担当していました。鯉をモチーフにしたデザインなども考えましたが、可愛い男の子をモデルにしようと考えました。理由は「子どもには夢があって、未来がある」からです。私自身、子どもの頃から野球が好きで、子どもが野球をしている漫画をよく描いたりしていました。そういうきっかけもあって子どもをモチーフにしました。
制作した際には球団カラーの赤、球団旗の紺色、ユニホームの白、そしてグラウンドをイメージした緑色、この4色を基本としながらデザインを考えていきました。その兼ね合いもあって、カープ坊やの髪の毛は緑色としています。かわいらしさの中にも、迫力を持たせるために、イラストの曲線は一定の太さではなく、強弱をつけて描いています。また、目も左右の大きさを微妙に変えることで、動きを感じさせるように心掛けました。
当時、いろいろな別案があったようですが、運良く私が描いた『カープ坊や』を採用していただきました。実際に決定されたときは本当にうれしかったです。当初は一定期間でペットマークデザインが変わるものだと思っていましたので、まさかこんなに長い間使用されて、多くの方々から愛される存在になるとは夢にも思わなかったです。
50年の長きにわたり愛され続けてきたカープ坊やですが、広島県民はカープが大好きで、身内のような感覚があると思います。私にとってカープ坊やは、やはり自分の子どものような存在です。50周年を迎えたわけですが、いつまでも愛される存在でいてほしいですし、もっと長続きしてほしいと願っています。
■岡崎福雄(おかざき ふくお)
ペンネームはガリバー岡崎。福岡市出身、広島市在住
高校卒業後に広島でグラフィックデザイナーとして活躍。広告代理店勤務を経て1981年からフリー。広告代理店勤務時代にカープ坊やを描いた生みの親。78歳の現在も現役のイラストレーターとして活動中。