1993年の創刊以来、カープ、サンフレッチェを中心に「広島のアスリートたちの今」を伝えてきた『広島アスリートマガジン』は、2025年12月をもって休刊いたします。32年間の歴史を改めて振り返るべく、バックナンバーの中から、編集部が選ぶ“今、改めて読みたい”記事をセレクト。時代を超えて響く言葉や視点をお届けします。
第1回目の特集は「黒田博樹インタビューセレクション」。今回は独占インタビュー2回目をお送りします。
広島とニューヨーク、ふたつの街に愛された男、黒田博樹。揺るぎない信念と覚悟を胸に、日米で活躍したその足跡は、今なお多くのアスリート、ファンの心に残り続けている。過去に広島アスリートマガジンに掲載された独占インタビューを再構成し、黒田博樹さんの言葉に込められた思い、生き様を改めて紐解いていく。
2003年、黒田は初の開幕投手を務めた。2003年5月号の独占インタビューでは、開幕投手としてのプレッシャーについて、そして投手陣のニューリーダーへの期待について語っていた。
◆初の開幕投手指名。うれしさが一番だった
— 実際に監督(山本浩二・現野球解説者)から「開幕戦は頼むぞ」と告げられた時のお気持ちは?
黒田 やっぱりうれしかった。それが一番ですね。
— 監督に告げられるまでの黒田さんご自身の、開幕投手への意識というものはどのくらいあったのでしょうか?
黒田 意識というのは、そんなにはなかったんですけど。自分がしっかりした調整をして、あとは監督さんが決めることなんで、そこまでは考えなかったですけどね。
— もし、自分が指名をされたら「頑張ろう」と。
黒田 やっぱりこれだけ期待されて、(開幕投手を)やらせてもらえるんで、そういう意味では何とか「勝ちたい」というのはありました。
— ただ開幕戦は3月28日でしたから、ちょうど1カ月半もありましたね。
黒田 そうですね。やっぱり(キャンプ後半からオープン戦前半にかけて)不安というのも多少はありましたけど。あとは、もうそこまで任してもらったんで、開き直りだけですね。
— そして当日、球場に入った時、先発投手がコールされた時、1回裏のマウンドに上がる時、それぞれ実感というものが湧いてきたと思うんですが。
黒田 実感というのはあんまりなかったですね。開幕(投手)という感覚をあんまり持たなかったっていうか、やっぱり自分の中での一番最初に投げるゲームっていうので、去年とそんなに気持ち的には変わらなかったです。ただやっぱり…チームの一番最初の試合っていうのがあるんで、「勝ちたい」っていうのがありました。
— ウイニングボールは(一塁ゴロでベースカバーに入った)黒田さんご自身がつかんだということもあったのですが、ガッツポーズも飛び出しました。あまりされることはないそうですが。
黒田 いや、結構してますよ(笑)。ただあの日はやっぱりそれだけ苦しかったというのもありますし、開幕っていう重圧も、どこかしらあったと思います。その中で勝てたという喜びというか、完投で勝てたっていう充実感は、なかなか味わうことができないんで、やっぱり普通に勝ったのとはちょっと違う気持ちにはなりましたけどね。
— それがやっぱり、開幕投手の重圧だったのでしょうか?
黒田 だったんじゃないかな、と思いますね、終わってから思えば。
— 意識はされてなかったけれども、実は結構プレッシャーっていうのがあったのでしょうか?
黒田 うーん、プレッシャーっていうか、まあ「勝ちたい」「勝たないといけない」というのは、ありました。キャンプ、オープン戦と全然自分の調子自体が上がってこない時があったんで、「これでいいものか」というのもありました。監督さんに2月の早い時期から決めてもらって、というのもありましたし、その中ですごい自分自身の中で不安というのがありました。
— それが解き放たれたのが、ゲームセットの瞬間だったんですね。
黒田 そうですね。やっぱり自分の中ですごい上手く、精神面というかメンタルな面で上手くもっていけたんで。だからキャンプ、オープン戦と調子が悪くても、いざゲーム(公式戦)に入って抑えれば、結果が出れば技術的な面も変わってくると思います。そういう意味では本当に「シーズン入って気持ちが入れば、またいい状態に変わるだろう」っていうぐらいの安易な気持ちではありましたね。