プロ初先発、初勝利、初完投と、『初』づくしのシーズンを送った髙太一。しかし2025年シーズンは、キャンプ二軍スタート、開幕二軍と苦しい日々を送ってきた。野村祐輔コーチとのトレーニングをきっかけに飛躍をつかんだ2年目左腕が、その名を一躍有名にした『あの名勝負』、そして自身初勝利を振り返る。(全2回/第2回)
◆何かが違えば、一軍で投げることすらできなかったかもしれない
─8月1日の中日戦で、プロ初勝利を挙げました。
「ホッとした気持ちだけでした。うれしいという感情もありましたが、『良かった……』という感情でした。本当に一軍に上がれる気がしていなかったので……。一軍に上がるまで二軍で自分の優先度もそんなに高くなかったですからね。先発陣が多ければ、中継ぎに回ることもありました。中継ぎでも優先度の高いメンバーは遠征に行きますが、僕は残留して練習をしていたり……、本当に一軍で初勝利している未来が見えていませんでした。2月のキャンプから初勝利も見えていなかったので、本当にほっとしたという気持ちでした」
─その初勝利は髙投手にとって、どんな意味を持ちましたか?
「とても大きかったですね。『もう一度チャンスがもらえるんだ』という喜びと、『これだけできたから次もやれる』と思える自信にはなりました」
─結果的に先発で3勝を記録し、先発として役割を果たしていました。一軍でも通用すると感じた試合はありましたか?
「初勝利は本当にフワっとした感じで試合が終わりました。もちろん勝てたという自信にはなったのですが、正直『これだ!』という手応えはありませんでした。中日戦(8月8日・バンテリン)やDeNA戦(8月21日・横浜)は、僕自身調子が良かったので、結果を残さないといけないと思っていました。もちろん勝てて良かった、抑えられて良かったという思いはありましたが、手応えはまだまだでした。そういう意味では、8月28日の巨人戦(マツダ スタジアム)、9月4日のDeNA戦(マツダ スタジアム)、9月11日の巨人戦(東京ドーム)ですかね。良いコンディションではなかったですが、しっかり試合をつくれたというのが自信になりました。9月11日の巨人戦は特に、初回から2失点して、気持ち的にも大変だったのですが、早めにキャッチボールを始めたり、動きの中で確認して修正ができました。こういう積み重ねをしていけば、しっかりプロでも戦えるんじゃないかという自信になったと思います」
─登板を重ねる中で、ストレートに対する自信も深まりましたか?
「そうですね。調子が悪い中でも6回以上を投げて試合をつくり、抑えられるようになりたいなと思いました。やはり一軍で定着するためには、試合をつくるだけではなく、きちんと抑えることが必要だと思います」
─8月21日のDeNA戦、宮﨑敏郎選手との20球に及ぶ対戦は見応えのある素晴らしい勝負でした。
「僕はすごくないですよ(苦笑)。よく言っていただきますけど、宮﨑さんがすごいだけです! 5点差あったので、ランナーを溜めることが良くないと、サク(坂倉将吾)さんと同じ認識でいました。とにかく打たせよう、『ストライクゾーン、ストライクゾーン』という意識で投げていたら……。すごいですよね、宮﨑さん。『打ってくれ!』と思ったら、『あ〜!……』って感じです。本当に最悪な結果になりましたよね。ヒーローインタビューでのコメントは本音です(苦笑)」
─8月は常廣羽也斗投手、辻大雅投手など、若い投手が一軍で登板するようになりました。同年代の投手陣はどんな存在ですか?
「ツネ(常廣)が一軍に来た時は、ツネより早く大野に帰らないように頑張ろうとか、最後まで一軍に残ろうとか、そういう気持ちはありましたね。その上で一緒にローテーションを守れたらとか、お互い切磋琢磨できていたんじゃないかなと思います」
─今シーズンは髙投手にとって、さまざまなことがあったシーズンだと思います。この2年目のシーズンは髙投手にとってどんなシーズンでしたか?
「プロ野球選手として成長できたシーズンだったと思います。二軍キャンプからのスタートだったこと、中継ぎや、先発を任されても結果が残せなかったこと、思い出すといろいろ大変なことが蘇ってきます。でも、この過程がなければ、野村コーチとのマンツーマンの指導はなかったわけで、何かが違えば一軍で投げることもできていなかったかもしれないので、この経験は僕にとって良かったと感じています。来年こそは、春から一軍キャンプに参加するという強い気持ちで臨みたいです」
■髙太一(たか・たいち)
2001年7月26日生・24歳・プロ2年目
広陵高-大阪商業大-広島(2023年ドラフト2位)
2025年成績:8試合3勝2敗 投球回45.1回 32奪三振 防御率2.58

