◆悔しさを経て、『投げる喜び』を思い出した

─そんなにすぐに体感できる効果があったのですね。

 「杉原(望来)と一緒に野村コーチの指導を受けていたのですが、最初は杉原のほうが球が走っている感じがして、それもすごく悔しかったです。そこでも焦りはあったのですが、とにかくこの2週間で何かきっかけがつかめれば良いと思っていたので、必死で取り組みました。少しずつ感覚も良くなってきて、無事に2週間を終えたのは良かったのですが、その後に帯同した遠征(5月1日・中日戦、ナゴヤ球場)で8球連続四球を出してしまって……」

─横山竜士二軍投手コーチは、あの試合が、辻投手にとってもターニングポイントになったのではないかと話していました。

 「その通りですね。打者二人に四球を出してしまって、ストライクが一球も入らなかったんです。その次の遠征には杉原が呼ばれて、その次には小林(樹斗)さんが呼ばれて……。杉田(健)さんも先発で投げていましたし、自分だけが残された時に、自分に対して悔しすぎて逆にまた火がついたという感じでした。絶対に負けたくないという気持ちでやってきたので、本当に悔しかったんです。技術面というよりも、気持ちの面で変わる一つのきっかけになりました。本当に、プロに入って一番悔しかった出来事と言っても良いかもしれません」

─その悔しさを経て、ご自身のなかで何が一番変化したと思いますか。

 「そうですね……『投げる喜び』を思い出したという感じです。それを忘れている自分もいたのかなと。あの中日戦の後、次に紅白戦で登板するまでかなり間隔が空いたんです。『次の紅白戦で登板がある』と言われた時に、それまで感じたことのない『投げさせてもらえるんだ』という気持ちになったんです。そういう初心を忘れないことが結果にもつながっていくと思いますし、周りのみなさんにも紅白戦で感じた気持ちは絶対忘れないようにと言っていただけているので、大事なのかなと思っています」

─その後、5月中旬の試合に登板されますが、それまでとは違う手応えを感じるなどありましたか。

 「野村コーチのところでトレーニングをしてきたことが、自分にしっくり合ってきたなという感覚がありました。野村コーチには、特に軸足と重心移動について指導していただいたのですが、それまでは左足でプレートを蹴るイメージで投げていました。ただ、それでは力の半分も使えていないと言われて……。

 『その状態で140キロが出ているなら、ちゃんと左足を使えるようになれば150キロ出る』と言ってもらえて、下半身の使い方を変えるように意識をして取り組みました。逆に言えば、それ以外は、フォームも何も変えていないんです。下半身の使い方しか変えていなかったのですが、三軍で2週間トレーニングをしたあと二軍の紅白戦で1イニング投げると、相手打者のバットに当たらないくらいの球を投げることができました。

 そこですごく手応えを感じましたし、遠征に行けるかどうかがかかった紅白戦だったので、そこでも負けられないという気持ちに火がつきました。そうしたら球速も初めて150キロが出て……自分のなかでもこれはいけるなという気持ちが出てきました」

(後編へ続く)