2023年の新井カープを象徴する選手のひとりが、今季限りでチームを去る。10月1日、戦力外通告を受けた上本崇司だ。2022年に『10年目のブレーク』を果たすと、あらゆるポジションをこなせる“超ユーティリティープレーヤー”としてチームを支えた。2013年の入団以来、長い下積み期間を経てカープに欠かせない選手となった上本。誰からも愛された背番号0の足跡を振り返る。

写真はプロ1年目、当時23歳の上本崇司

◆2013年/守備力・機動力を評価されドラフト3位で入団

 広陵高から明治大に進み、大学では主にショート、セカンドでプレー。高い守備力と俊足を買われ、2012年ドラフトでカープから3位指名された。背番号はカープでは歴代ユーティリティープレーヤーたちが付けてきた『0』に決まった。プロ1年目は一軍で30試合出場するも、2安打2打点、スタメンでの出場は4試合。9月18日の試合では、対戦相手の阪神に所属していた4歳上の実兄・博紀と、兄弟そろっての出場も果たした。

◆2014年/一軍スタメン出場はなし 二軍で鍛錬の日々

 プロ2年目は、ルーキーの田中広輔が開幕一軍入りを果たし、シーズンを通して一軍に帯同。田中がショートとサードで起用されたこともあり、上本は主に代走、守備固めで起用された。一軍では2安打にとどまり、スタメン出場は0に終わるなど、主に二軍で鍛錬の日々を過ごした。

◆2015年/緒方政権下で スイッチヒッターに挑戦

 2014年のシーズン終了後からは、就任したばかりの緒方孝市監督の助言もあり、スイッチヒッターへの挑戦を始めた。この年は体が動かず思うようにプレーできなかったと言い、ウエスタン・リーグでも86試合の出場で打率.238、10失策を重ね、初めて一軍に上がることができなかった。

◆2016年/チーム好調の裏で 打撃不振に苦しんだ1年

 チームが25年ぶりのリーグ優勝を果たした2016年は、代走、守備固めなどで一軍で7試合に出場し、打席に立つ機会はなかった。ウエスタン・リーグでも63試合で打率.213と、打撃面で苦しみ、歓喜に沸く一軍の影で不完全燃焼に終わった。