華やかな舞台の裏で、カープのために小さな体を張り続けてきた上本崇司。どんな役割であろうと全うし、勝利を信じて必死に走り抜けた13年。現役引退を決意した、唯一無二のユーティリティープレーヤーが、自身のプロ野球人生を支えた信念とカープへの想いを語る。(全2回/第1回)
◆戦力外と言われたら、引退するつもりだった
─10月4日に最終戦を終え2カ月が経過しました。
「精神的にもめちゃくちゃ楽ですね。これまでであれば、次の日のこと、体のこと、来季のことなどを考えて動かないといけない時期なので。そういう意味でも今はもうすっきりですね」
─今季は一軍でプレーするチャンスが少ない中、モチベーションを保つのは難しい1年でしたか?
「モチベーションというより、僕は普通に淡々とというか、僕自身が1番わかっているので、立ち位置と若返りを考えたら僕が出るより、やっぱり若い選手を出して育てる方が現実的だろうなと感じていました。ただ、そういう面は受け入れながら、熱い思いは持って練習をしていました」
─今年は故障もあり二軍で過ごす期間が長くなりました。若手選手と接する機会も多くあったと思います。
「率直な思いとしては、せっかく良い能力があるのに、それを活かし切れてないというか、考え方と練習の仕方を変えればいいのにな……と思っていましたね。時代も違いますし、なかなか厳しくできない時代なので、しょうがないですが、そういう時代だからこそ、自分で考えて自分で練習しなければいけないと思うんです。そういう思いがありましたね」
─その思いを抱く中で、アドバイスなどもされたと思います。
「僕はこれまでの実績も踏まえて、偉そうなことは言えないので、伝え方で悩むということはないですね。やっぱり選手はプライドがあるので、活躍していないような人に言われてもという思いがあるんですよ。だから僕から言うことはないんですけど、逆に教えてくださいと言われれば、言い方とかはそこまで考えず、僕らの中での関係性もあるので、普通に接していました」
─9月はリハビリの時期となりました。
「そうですね、もうケガをした瞬間に『あ、終わったな』と思いました。ケガをしたら終わりです。二軍でも出場機会は少ないのですが、3割は打っていたので『まだやれる』という自信はあったのですが、もう体がついてこないので葛藤する部分がありました。ただ、やはり一軍で打たなければ意味がないなと」
─来季の構想外という話はどのタイミングで伝えられたのでしょうか?
「球団と話しをする前日です。9月30日に球団へ来るように連絡があり、薄々そのことだろうと察していました」
─連絡があり、引退を決断したのはどのタイミングだったのでしょうか?
「もう戦力外と言われたら、野球をするつもりはありませんでした。体と、自分の実力と年齢と、しがみついてまで野球をやりたくはなかったんです。なので決断としては早かったですね。電話が来た日に、妻へ『もう野球はしない』という話をして、その日の夜に娘と息子も集めて、家族会議をしました。息子はまだ小さいのでわからないのですが、娘はやっぱり生まれてからずっと『パパはカープの選手』だったので、泣いていて『まだやってほしい』という感じでしたね。妻は『もういいんじゃない。お疲れさま』という感じでしたね」

