◆出場する予定はなかった最終戦

─そこから数日後の10月4日に最終戦を迎えるわけですが、出場はどのような経緯で決まったのですか。

「もともとは出場する予定ではなかったんです。戦力外を受けて藤井(彰人)ヘッドコーチに挨拶へ行った時に『監督も心配してる。最終戦出なくて良いんか?』と言われたのですが、お断りしたんです。リハビリに入っていましたし、走れないし、練習もできていないし……。なのでその時は断ったのですが、前日の夕方に監督から直接電話がかかってきて『応援してくれたファンの人もたくさんいたから、やっぱりお礼を伝えた方が良いんじゃないか?』と言っていただいて、本当にうれしかったですね」

─それで急遽登録されたのですね。

「ただ動けないので、ベンチに行くだけという気持ちで当日の朝来たら、藤井ヘッドから打席に立とうと言われて、何も持ってきていなかったので、急いで車にあるバットを持ってきて『良いんですか? ありがとうございます』となって出場することになりました」

─シーズン最終戦は多くのファンの方々が球場に入られていました。

「よそよそしかったですね。戦力外になって、辞めた立場だったので、なんか自分でもよそよそしいなと思いながら、周りの選手からも『どうしたんですか? いつもらしくないですよ』と言われて、『一応俺もう部外者だし……(笑)』という感じでした」

─他の選手も上本選手の雰囲気を感じていたのですね。試合が進んで打席が回ってきましたがいかがでしたか。

「めちゃめちゃ緊張しました。心臓がバクバクで、ベンチ裏で素振りとかしていたのですが、緊張してて、『これやばい』と思いながらグラウンドに上がって、ネクストに立った瞬間にいろんなことが蘇ってきました。野球ができなくなるという思いと、しんどかった思いと、良い人に巡り会えたなとか、一瞬で思いが溢れた感じがしましたね」

─駆け巡りながらのあの打席だったのですね。最後の打席はいかがでしたか?

「ヤクルトが勝っていたので、本気で勝負してくるものだと思っていたんです。そうしたら、1球目に真っ直ぐのスローボールが来たんです。『うわ!』と思って……。そこでも僕に配慮してくれている申し訳なさと、ありがたさが入り混じって……。2球目は少々のボールでも振ろうと思って高めを振ったのですが、ケガもしているので足も踏ん張れなくて。でも相手投手の気持ちもあるし、どうしよう……と迷っての2球のファールでした。でも空振りはしたくない、前に飛ばしたい……で、最後は無理やりヘッドを返して引っ掛けてショートゴロでした。2球続いたので、“ごめんね”と投手の方に言ったって感じでした」

─最後のスピーチについてですが、上本選手らしく、笑いあり、涙ありの素晴らしいスピーチでした。

「思ったことを言おうと思っていたので、そこはあまり考えていませんでしたが、堅苦しいのは嫌だと思っていたので、思ったことを順番に言っていこうと思って。僕、全然泣く気はしなかったのですが、新井監督が僕を呼ぶ前に、名前だけじゃなくて、『小さな体で、成績よりも記憶に残った』というようなフレーズを言われていて、それで、もう涙が抑えきれなくなりました。止めてくれと思いましたね(苦笑)」

─ご両親に対するユーモアなコメントもありました。

「あれは、正直な気持ちですね。兄(上本博紀・阪神)もケガばっかりで終わった人なので。両親からは『なんであんなこと言うん』って言われました(笑)」

─上本さんにとっては良い1日、区切りになる1日になったのですね。

「そうですね。本当に、新井監督と藤井ヘッドのおかげですね」

(後編へ続く)