◆4番に座ることで、改めて改めて山本浩二さんの偉大さを実感

 結局私はそこからシーズン終了まで主に代打としてプレーすることになるのですが、決して気持ちが腐ることはありませんでした。とにかく優勝に向けて必死でしたし、選手が一丸となっていただけにとにかく勝利だけを目指していました。

 ちなみに、シーズン最終戦で達川光男さんが監督に対して『長内はあと1本でホームランが20本じゃけぇ、出してやってください』と言ってくださり、スタメン出場することができたのですが……結局ホームランを打つことはできませんでした(苦笑)。

 そして西武との日本シリーズでは1分3連勝の後、4連敗を喫してしまいました。1、2敗の時点ではまだ余裕もあったのですが、3連敗をした時点でチームの雰囲気としてもかなり重苦しかったことを覚えています。この年限りで浩二さんが引退されることが決まっていただけに『なんとか浩二さんに花道を』という思いを持っていましたが、結局日本一になれず、非常に悔しい思いでした。

 このシーズン中、何度か浩二さんの代役として4番で出場したことがありますが、過酷の一言でした。勝敗全てを背負う4番を長く務め、そして結果を残してきたからこそ“ミスター赤ヘル”と呼ばれるのだと感じさせられましたし、改めて浩二さんの偉大さを理解できたシーズンでもありました。

 1986年の優勝について、それぞれ思い入れがあるとは思うのですが、私としては優勝したとはいえ、不甲斐なさを感じるシーズンでした。それは出足が好調だったのにも関わらず、自らのミスによってレギュラーを外されたからです。もちろん優勝した瞬間はそんな思いも吹き飛びましたが、トータルで考えると個人的には失敗の印象が強いシーズンでもありましたね。