かつてクローザーを務めた永川勝浩投手が引退。また一人、松坂世代の選手がユニホームを脱いだ

球団最多の165セーブを挙げた元守護神が、17年にわたる現役生活に終止符を打った。02年にドラフト自由獲得枠でカープに入団した永川勝浩は、ルーキーイヤーから40試合に登板。前年に30セーブを挙げた小山田保裕の故障に伴いクローザーに抜擢されると、新人では球団最多の25セーブをマークし最後まで新人王を争う活躍を見せた。

ところが歴代11位(9月23日現在)のセーブ数を誇る球史に名を残す投手ながら、強いカープしか知らない新規のファンには印象が薄いかもしれない。08年オフにチーム最高年俸で契約更改し、名実ともにカープの顔となったと言ってもピンと来ない部分もあるだろう。

それも無理はない。10年以降は度重なるケガに泣かされ、シーズンを通して活躍したと言えるのは52試合に登板した14年くらい。10年の横山竜士を挟み、以降はサファテ、ミコライオ、中崎翔太へとクローザーの座は受け継がれた。

守護神としての全盛期は03年~09年の間に絞られる。鋭く落ちるフォークで打者を翻弄したのは、その大半がストライプのユニホームに身を包んだ旧広島市民球場時代だ。プロ入り後に初めて一軍登板がなかった12年オフには戦力外も覚悟し、限度額を超える減俸ながら契約を勝ち取った際には「涙が出るほど嬉しかった」との言葉を残している。

その後もケガとの戦いは続き、二段モーションの規制により投球フォームの修正も強いられた。17年オフには左膝の手術を行うなど、まさに満身創痍の現役生活だった。

「打者は調子が悪くてもバットに当たるときがありますが、投球は自分を頼りに投げるしかありません。(10年にケガをしてからは)自分の意思と一致する球は、10球に1球くらいでした」

そのような状況下でも懸命にリハビリを続け、昨季は22試合で2勝5ホールドをマークした。年齢や体の状態を考えれば、重みのある価値のある数字である。10年以降に挙げたセーブは、わずかに『2』。それでも低迷期を支えたクローザーの姿を知る者は、『守護神といえば永川』を連想するファンも少なくなかった。

9月23日の現役ラスト登板は、5461日ぶりとなる先発マウンド。中日・大島洋平を相手にすべてストレートの直球勝負だった。代名詞のフォークが見られなかったのは、往年のファンにとってはちょっぴり心残りだったかもしれないが、真剣勝負を挑み、見事にファーストゴロに打ち取った。低迷期を支えた背番号20が最後の重責を見事に果たし、笑顔と涙でファンに別れを告げた。